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001   2012/02/10(金) 23:51:44 ID:indskGNCe2   
 
 
002   2012/02/11(土) 00:03:04 ID:3YZZiLVNxg    
やっぱ硫黄島の栗林中将は頭良かったんだね。 
 丘の斜面に設置し 
 反対側の斜面の目標を狙った。 
 日本川は丘を飛び越えて攻撃できたのに対し 
 敵は見えない敵を相手にしなくてはいけない。
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003   2012/02/11(土) 08:56:56 ID:bg1YLE/19I    
銃は道具。アメさんにとっては日用品。我々には非常時以外には必要ないもの。 
 そこの考え方の違いがやっぱり出てるね。しかし38式が名銃なのは間違いない。
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004   2012/02/12(日) 08:53:24 ID:RIZEsuIhyc    
スレ動画の最後あたりのコメントには、ある見方をすると同意だ。 
 「敢闘精神」これ最強で、武器は二の次で戦った日本軍。   
 言い換えるなら、 
 仮の話し、対する連合国と同等レベル性能の武器弾薬・兵器が日本軍側に 
 広く行き渡っていれば、五分五分以上の戦に持ち込めたか、 
 あるいはひょっとすると圧倒したかもしれない。
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005   2012/04/06(金) 19:41:42 ID:3zCiaV8Rgw    
>>4  道具が充実すれば人間は怠けるもんだ 
 道具や補給がお粗末だから創意工夫、気合で補ったんだろ 
 それに人口やら国土やら何から何まで条件揃えるなきゃ飛脚なんて出来ないだろ
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006   2012/04/06(金) 21:22:08 ID:3lUFsMnqps    
38式は当初粗雑な悪銃だと思われていたが、戦後アメリカで行われた 
 第二次大戦中の銃の比較テストでトップクラスの成績をとった事で 
 一転、名銃としての評価が高まりアメリカのガンマニアの間でプレミアが 
 つくほどの人気を持つようになった。その時の専門家のコメント 
 「38式は鉄の材質も良く、薬室の大きさ(炸薬量)と弾頭の大きさが絶妙で 
 反動がすくなく良く当たる。この微妙なバランスを当時の日本人がどうやって見出したかは謎としか思えない」とある   
 十一年式軽機関銃も同様に名銃と言われる。戦記物を読むと「普通、連射すると 
 弾着がどんどんずれていくがこの機関銃は発射速度がちょうどよくて銃身が元の 
 位置に戻った時に次の弾が出るので弾着がずれなくとてもよく当たる」とある   
 どちらも科学的な計算で得られた性能ではなく職人芸的なカンで素晴らしいものを 
 作り出したというのがいかにも日本的だね
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007   2012/04/07(土) 01:06:31 ID:0755YP9CdM    
日本は金がなくて、弾をバラ撒くという発想がなかったからなあ。 
 とにかく命中させる事に拘った。
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008   2012/04/09(月) 08:32:17 ID:5AHU4C/1E.    
>>6  福野礼一郎の車の本でもアメリカの日本軍銃器マニアが出てくるけど 
 初期の三八式は手の込んだ贅沢な作りだったんだよなぁ。
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