世の中には稀にですが「色んな物捨てすぎだろこの人!」ってのがいます。
そういう人ではない一般人は戦争に行きます。
お国のためではなく、「捨てられないもののため」です。
戦時中でなくても、われわれには捨てられないものがあります。
戦後民主主義社会でも同じです。
部族社会でもそうだったでしょう。
捨てられないから、社会人としてきちんと生きれるのです。
この感覚は古からの人間社会の引き継ぎものですが、いろいろな色に染まります。
家族、親族、村・地域社会、会社、同窓、知人というリアルなものから延長されて、
見ず知らずでも、ヴァーチャルに連携、連帯して同じ目的で束ねられる者は「旗」の下で共闘できます。
国とか、同盟国とか、連合国とか、地球防衛軍とか・・・
感覚自体は極めて根深く、古く、文化どころか遺伝子レベルで人類に付与されたもの。
つまり、この感覚ゆえに戦うのです。
一義的には国のためにではありませんが、国が崩壊の瀬戸際にあり、
それを脅かしている存在が明確で、戦うことのでしか応戦できない場合、国のために戦えるのです。
その時点で「俺、国捨てることができるんだが・・・」という人は、ほかにも多くを捨てることができる人なのでしょう。
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