検証なき哲学は思考の浪費である。


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001 2018/09/11(火) 01:44:02 ID:Jr.zvjYJlw
いくらでも思想を深めることは出来るし、いくらでも仮定や名称をつけて論理建てて組み立てて行くことは出来る。
しかしそれが実社会で生きることはない。

科学は仮定の次に、検証のプロセスがあるからこそ科学足り得る。検証をなくして構築できる理論などないのだ。
哲学のみで切り開いた道の先に真理など有りはしない。 むしろ思考を捨てた方が真理に近づくというものよ。

時代を読むためにも、道筋を決めるためにも、仮定を立てるためにも、それぞれの哲学は必要ではある。
しかし、哲学のみを突き詰めることには、物好きの道楽程の意味しかない。

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002 2018/09/11(火) 01:56:29 ID:Xn1RWAwCEA
哲学=イジメられてたヤツ=友達いない=暇だからできる=自分は他のヤツとは違う=現実逃避
何の役にも立たない学問だと
知るのが怖い

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003 2018/09/11(火) 02:28:26 ID:pfhlhHTAdg
こんな掃き溜め掲示板で講釈垂れるなよ…

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004 2018/09/11(火) 02:55:06 ID:fjX4a/NO0s
つまり、行動の伴わない高尚な理屈なんぞ、クソという事ですね。
ぶっちゃけ、いくらクチでは立派な事をほざいても、やらせてみたらダメ男だったというのはカッコ悪くて仕方がないと。

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005 2018/09/11(火) 04:44:20 ID:Mk5pcQZDe2
>しかしそれが実社会で生きることはない。
はあ?

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006 2018/09/11(火) 05:40:26 ID:4aFBB00DZs
哲学そのものが無駄じゃ無駄じゃ

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007 2018/09/11(火) 05:48:34 ID:KpJHT.7.yQ
理性にも周波数の合わないラジオの雑音みたいな類があるからな。

言葉ではいくらでも表現できなんとでもいえるけど、根底にある理性と呼べるべき根拠がない人が多い。そういうのを雑音という。

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008 2018/09/11(火) 07:18:04 ID:I2oSM9fIIY
反復可能な知と反復不可能な知がある。

それだけ。

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009 2018/09/11(火) 07:32:30 ID:52UT1lUlb2
>>8
カテゴライズするなら具体例を挙げてプレゼンしないと・・・
自分の頭の中だけで完結して悦に入るの悪い癖だよ!
そういうとこだよ!

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010 2018/09/11(火) 07:50:47 ID:I2oSM9fIIY
わかりやすくいえば、検証可能=反復可能=科学=意味がる
          検証不可能=反復不可能=科学的でない=哲学=意味がない
端折っていえばそうなる。

まあ反復不可能な人の生死、恋愛、芸術、、、ざっといえば体験だろか。
それを検証可能な部分だけ取り出せば、ビッグデータなりAIなりに行き着く。

例えば、今死のうとしてる人に対して、検証可能な効果のある言葉を投げかけることが
本当に意味があるかといえば、お仕事としてはアリだろうが言われた貴方(集計の結果出た言葉いってるなと感じながら)
どう思うか。

そこを考えることが無意味なら、その人やその文化にとっては意味がないということだ。

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011 2018/09/11(火) 09:43:10 ID:4rmNBY2PUw
根拠のない仮定は妄想(^。^;)

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012 2018/09/12(水) 03:08:33 ID:qzU7GQGuuI
反復可能性ではないが、科学と哲学を線引する用語として反証可能性がある。
科学は何時いかなる時も反証可能性がある。ニュートン力学や静的宇宙像も、観測一つで否定的証拠が見つかれば直ぐに訂正された。
相対性理論だって光速度不変の原理が基礎にあるが、これだって光速より早い物体が観測されれば直ぐに反証される。

一方人間の精神構造や社会を分析する哲学体系はスタート時点で否定する事が不可能な仮定や、前提で進められる事が多い。
当然こねくり回して出てきた結論も検証する方法がなかったり、検証すらされない物が多い。

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014 2018/09/12(水) 06:07:07 ID:82dW0vSYSY
ちなみに「反復可能性」とはカール・ポパーが提唱した概念だが、彼は科学を哲学する科学哲学者である。

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015 2018/09/12(水) 06:14:18 ID:82dW0vSYSY
さらに言うと、「反証可能性」はある仮説が科学であるかないかを見極める標として提唱されたもので、
科学と哲学を線引する用語などではない。

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016 2018/09/12(水) 06:56:09 ID:q70e80wdhg
検証なき哲学は思考の浪費であるかどうかを論じることもまた哲学

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017 2018/09/12(水) 22:34:44 ID:1jnTsmvHGo
科学とは、哲学に内包された哲学のエッセンスだろう。
多種多様かつ混沌とした論理の中で万人に支持されうる客観的な論理、其れが科学。
「反復可能性」も客観に訴えうる重要なファクター。
二度と観測される事の無い事象は、観測者以外にとっては無価値な物でしか無く、
其れを元にした論理は、客観的な論理足りえない。
答えも結果も求めない事が前提の主観的論理であれば、
どのような論理でも自由自在だが、
そんな物を他人が必要とするかは、甚だ疑問と成る。
哲学も学問の内ならば、万人の為に存在するのであり、
当然客観性に収束され、その結節点に必然として生まれるのが科学。

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018 2018/09/13(木) 03:58:52 ID:nQXNx0s4Nc
>>14
カール・ポパーで検索したら反証可能性しか出てこないけど。

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019 2018/09/13(木) 05:41:12 ID:S2yRD3M9aI
科学哲学におけるポパーの貢献としては以下のようなものが挙げられる。

1. 疑似科学と科学の間の境界の設定を科学哲学の中心課題として認識したこと
2. 反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱したこと
3. 蓄積主義的でない科学観を提案したこと
4. 知識のあり方を進化論的に論じたこと
5. 確率にまつわる新しい説を打ち出したこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%...

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021 2018/09/13(木) 06:10:24 ID:S2yRD3M9aI
反証主義を提唱したポパーは、反証可能性に関連するさまざまな問題に思索の輪を広げて行った。
興味深いことに、進化論的知識論を展開するに至った頃、進化論が反証可能かどうかという問題について、ポパーは否定的な態度をとっていた。
その後、主観主義的認識論への批判を経て、量子力学の解釈と客観主義的確率解釈の問題にポパーは専心する。
このように、後期ポパーの哲学は非常に多様な問題を扱いつつ、主体なき知識といったいくつかのキーワードを中心としてつながったゆるやかな体系をなしている。

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