いま、日本社会には「不埒な他力本願」を助長するような文化が
溢れ返っている上に、それが最大級の人気までをも獲得している。
代表的な所ではスポーツ観戦とか、個別のアイドル推しとか、
プレイヤーが所有するキャラを戦わせるポケモン形式のゲームとか。
それをただ楽しむだけならともかく、自分が贔屓にしている他者の能力の嵩にかかって、
なんの能力もない自分自身がイキリ回るといった行為までもが多々見受けられる。
そういう姿勢を、他力本願自体は認める浄土真宗の開祖である親鸞聖人も
「本願ぼこり」と呼んで非難し、阿弥陀仏に帰依する姿勢としても認めなかった。
この、本願ぼこりの精神状態に陥っている人間ほど見苦しいものはなく、
野球好きのジジイなどがちっとも尊敬する気にもなれないような風体でいる
理由だったりもするのだが、そういうジジイほど、妻子を養っていることを
自尊心を補うための利用材料とし、妻子への依存心を肥大化させていたりもする。
社会的な評価が高い文化であるか否かを問わず、本願ぼこりを助長するような
文化は何であれ、妻子への依存で自尊心を保つような情けない男になってしまう
原因になりやすいものだから、誇りある男ならば始めから避けるべきである。
他力に頼ろうとする思い自体は、自らの求道のための、適切な師匠への随順の
ためなどにも必要となるものだから、それなりに認められて然るべきものである。
ただ、他力本願である以上はそれ相応の貞節さも欠かさないこと。思い上がりは
他力の本願ぼこりか自力の増上慢かに関わらず、なるべく避けるべきである。
返信する