別にこの実験は、自由意志が一体何なのかを解明する実験では無いし、 
 自由意志の存在と、決定論の矛盾を示した結果に過ぎない。 
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 まず科学的な話をしよう。 
 科学は何に基づいているかというと 存在証明によって成り立っている。 
 科学の仕事は存在を証明することであって、非存在の証明ではない。非存在の証明は、悪魔の証明といわれそれはそれは到底不可能なことと言われる論理の話ですね。 
 つまり自由意志があるとするならば、その立証責任は存在すると信じる側が証明する必要がある。   
 次に論理的な話。 
 ではな自由意志の存在を証明するためにはまず何が必要か。それは自由意志の定義。 
 これが如何にもふわふわしていて、取り扱いが難しい。そもそも自由とは何か? 
 自由とは恐らく、何者にも束縛されない、法則の働かない、道理の働かない、意志の作用できる空間、的なニュアンスだろうか。 
 つまり自由意志の自由って言うのは永遠に道理の外にないといけない。道理の内側に入ってしまえば自由はたちまち消えてなくなる。 
 つまり定義をした時点で証明が不可能になる。   
 理屈的に考えると、脳科学が進化すればするほど、解明領域が拡大するほどに、自由意志の居場所は無くなっていく。ただそれだけ。 
 脳の全てがリアルタイムで解明出来るほどには中々ならないだろうが、残された部分にのみ自由意志の居場所はある。 
 量子の領域は確率でしか語れないが、もし拒否権の発動が、脳にセットされた量子的な対称性の破れによって引き起こされる確率的な事象ならばどうだろう。 
 確かに量子の領域まで入ってしまえば、自由意志は永遠に守られるかもしれないが、対称性の破れみたいな偶発的現象に自由意志など見出せるだろうか?
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