このあいだ、久しぶりに新宿に行った。 オレのゴミ時代、芸術家を志したあの五年間の空白の時代、ウミの時代。 
 無為に終わった時代の街。紀伊国屋に本を買いに行っての帰りだ。 あった、ジャズ喫茶や飲み屋が昔のまま残ってたんだ。ヒョッと顔を出したら、 
 「よ、北野!」 
 「たけし先生って呼んだほうがいいんじゃないの?」 
 なんて、情けねえ顔して懐かしがってんの、芸術家たちが。 
 「なんだよ、60年代の芸術家」 
 なんてからかったりして。 
 あいかわらずなの。変わってないの。 
 時代が変わってなりが変わっても、意識は昔のまんま。小説書くっていってたやつも、まだいた。 そして、いまだに小説書けないでいる、夢だけは持ってね。 
 大江健三郎がどうした、古井由吉がどうしたって、口だけ達者なの。 カメラマンだってそう。土門拳がどうの、杉山吉良がどうの、ってやがる。 
 で、自分はってえと、スーパーのチラシのタラコ二百四十円のブツ撮りしてんの。それやんなきゃ食えないんだ。 そんな連中がたむろしている。 
 「オレはおまえたちと違うんだ。孤独なんだよ」 
 と、いいながら、群れている。同じ仲間で酒飲んでいる。 
 ひとりでも、そこから売れて外に出ていくやつがいると、 
 「あいつ、堕落しやがって」 
 といわれる。万古不易のパターンだよ。   
 新宿のゴミ時代、オレはあえてゴミになろうとしたわけじゃなかった。 ゴミを体験すれば売れるし、ビッグになれると思って新宿にいついたわけじゃない。 
 そこしか行くところがなかった。なにしろ、芸術家になろうとしていたんだから。 でもお笑いをやってなかったら何やってたろうか。 
 新宿時代のまんまかな。いまだにジャズ喫茶の雇われマスターなんかやってて、 
 「昔はよく遊んだよなぁ」 
 なんていってたかもしれない。そしてトシ食って、オヤジの菊ちゃんみたいになって、酒かっ食らって、みんなに、 
 「しょうがねえなあ、たけちゃんは」 
 なんていわれて死んでいったのかもしれない。 
 それはそれでよかったのかもしれない。 
 しょせん、みんなゴミなんだからさ。
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