個人的にどうでもいい、知性に欠ける体力馬鹿の賑わい程度にしか考えていない  
 2020東京オリンピックが、この年末年始から拍車をかけて囃し立てられ始めている。    
 マスコミだけでなく、日本政府もこれを「国民の祭典」と位置づけ、  
 大規模な競技場や選手村の建設のほか、開催中は都心全体に交通等の規制を敷き、  
 世界最大の屋内イベントであるコミケもゴールデンウィークに前倒しさせるなど、  
 全国民総力を挙げての協賛を有無を言わさず強制する事態となっている。    
 ここまででまず分かるのが、現代の日本社会のヒエラルキーは絶対的に 体育会系 > 文化系 であるということ。  
 体育会系の活動の前では、全ての文化系は道を譲らねばならず、 居てもいなくてもどうでもいい、 
 むしろ眼中から消えて欲しいぐらいな、存在価値0未満の扱いを受けるということ。    
 そしてもう一つ。  
 近年はバリアフリー化の観点から、障害者のためのパラリンピックも  
 オリンピックに並ぶ祭典として半ば義務的に盛り上げられている。  
 しかし、このパラリンピックも所詮はただの大運動会でしかない。  
 ただ体育会系を志している障害者だけを限定的に、体育会系の健常者並みに扱おうとしているだけ。    
 つまり、日本社会におけるヒエラルキーは  
  体育会系 > 体育会系の障害者 > 0 >文化系  
 ということである。    
 これが日本政府公認、大マスコミ奨励の社会的差別。  
 オリンピック・パラリンピックの礼賛がどうにも浅ましく感じられる原因でもある。
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