
己が頭の悪さや手先の不器用さを、 
 体力頼みで開き直っているから「体育会系」なのである。   
 心技体の三才に恵まれながら、中でも体力に秀でているから体育会系なわけではない。 
 それは、実際に体育会系を自認している連中の馬鹿さ加減や不器用さ加減のほか、 
 高い知性や技量を兼ね備えている武芸者や仏道修行者が、体術が本分であろうとも 
 体育会系を自認したりはしないことからも明らかである。   
 現代剣道の実質的な創始者の一人である、この西久保弘道とかいう23代警視総監も、 
 相撲取りみたいな胴回りに頭の悪そうな顔つき、子供のように細くて器用な仕事など 
 ろくにできなさそうな前腕と、いかにも体力馬鹿の体育会系らしい風体をしているが、 
 そんな自分の短所を恥じもせず、少しも正そうとする気もなかったものだから、 
 自己流の知性も技術もへったくれもないようなスポーツ剣道を警察の正課に据えたのである。 
 (学校の部活剣道の立役者である永井道明も同様にこの点が確信犯であったという。 
 「月刊武道」2019年11月号掲載の「剣道の文化誌」を参照)   
 頭が悪いのも不器用なのも、別に人の個性として全く許容されないわけではないが、 
 それが体育会系を礼賛する風潮の下で思い上がりを募らせて、さも人の花形か何かのように振る舞い、 
 挙句には国家権力をも牛耳るような社会的専横を働き始めたりするのは、さすがにやり過ぎである   
 頭が良かったり器用だったりする代わりに、運動はからっきしな文化人や技術者と 
 同程度な扱いまでを限度とすべきだし、そんな連中が魅力的には思われないというのなら、 
 所詮はそれと同レベルに過ぎない己が身の程をわきまえるべき。
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