賢明な年寄りも若者も、愚かな年寄りも若者も、いつの時代もいる。
ただ、賢明な老若男女の割合が増えれば世の中も治まる一方、
愚か者の割合が増えすぎると世の中が傾くといった相違がある。
明治以降、日本社会はあえて愚か者の開き直りからの増長を許容して来たのだから、
愚か者の多さで戦後社会は戦前以上、戦前もまた江戸時代以上であるのが必定である。
その最たる証拠として、「世代間対立」という問題が激化している。
昔は長幼の序が万人に重んじられて、年寄りと若者の対立なんてものは
あってもごく一部に限られていた一方、今では団塊、バブル、氷河期、ゆとりなどと
それぞれの世代で派閥を作って対立し、嫌いな世代をひとしなみに叩くような陰口が方々で見られる。
それは、どの世代も愚か者の割合が多すぎて、
総じて愚か者に見られるような世代ばかりだからである。
命をかけて戦うことを法律から禁じられた、不甲斐ない「敗戦後世代」同士としての自己嫌悪。
それを直近の同世代に向けたのでは自己否定になってしまうから、比較的離れた世代に向けられるだけ。
高年なら中若年に、若年なら中高年に、中年なら高年や若年に向けられる嫌悪。
どこにも「賢明な世代」などというものは存在しない、一億総愚か者時代ならではの現象。
世代間対立など全成敗した上での、新たな時代の希求こそが肝要である。
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