世界の中では突出して民度が高いとされているこの日本でも、
国民性の劣化は着実に起きているし、それは戦前にすらあったのである。
たとえば、幕末にかろうじて武家身分だった俺の高祖父(画像)が亡くなった
1910年代から突如、今の剣道で勝敗を決める打突の大半を占めている
「飛び込み打ち」が流行り始めた。なぜそれ以前には流行っていなかった
のかというと、合気道の一教のような柔術技巧で簡単に撃退が可能だから。
武士は武芸十八般を修めるのが基本で、剣術と柔術を併修しているなど
当たり前のことだったから、元武士がまだ存命だった1900年代までは、
飛び込み打ちが自殺行為扱いで実質的な禁じ手になっていたわけである。
それが、元武士の絶滅によって解禁されたのは、明らかな剣道の劣化であり、
そんな低劣な剣道ばかりやり始めた連中も、世代を挙げて劣化していったのである。
戦後には、剣道における柔術技巧の駆使がルール上から禁止され(GHQの強制)、
より飛び込み打ちに特化したような稽古ばかりが行われるようになった。
そんな、技法からの低劣化を極めた剣道の稽古で、俺も肩を壊し、
一時は生死の淵をも彷徨った。そんな俺自身のあり方もまた、
劣化した日本人の典型例(ある意味究極例)であったに違いない。
かように、文化習俗の劣化による国民性の劣化というのは、微に渡り細にわたり
進行して行くもの。あえてその流れを堰き止め、逆流させて行く志しを持たない
のならば、エントロピー増大則によってどこまでも壊乱して行くしかない。
そしてそれが致命点に至ってしまったのが、戦前と戦後の節目なのである。
返信する