何故、日本ではギロチン文化が流行らなかったのか
▼ページ最下部
001 2024/01/21(日) 18:14:09 ID:fIgh.87K3o
フランスにおいてギロチンと公開処刑は庶民の娯楽
仮に日本にもあったら君達も見物に行っていたか?
返信する
008 2024/01/21(日) 19:47:50 ID:SjZNZyDbeU
必殺仕事人・激突で死刑執行人
山田浅右衛門の存在を知った
返信する
010 2024/01/21(日) 19:56:12 ID:E27WpnJB26
第67回直木賞受賞作 綱淵謙錠 「斬」.
山田家二百五十年の崩壊の末路。
衝撃のラストだった。
返信する
011 2024/01/21(日) 20:06:03 ID:a4b3y/lm4.
首斬り浅右衛門やな
吉田寅次郎の首をはねたのでも有名
返信する
012 2024/01/21(日) 20:09:08 ID:E27WpnJB26
そういえば、山田風太郎の「明治断頭台」も面白かったな。
ギロチン発案者の末裔エスメラルダのイタコ能力を頼りに弾正台の川路利良らが事件を解決する探偵譚なのだが、いやはや痛快。
返信する
013 2024/01/21(日) 20:20:53 ID:tJFg7d67LE
山田風太郎は昔『おぼろ忍法帖』しか読んだ事が無いな。
面白かったんで“魔界転生”観に行ってなお感動した思い出。
返信する
014 2024/01/21(日) 20:32:44 ID:E27WpnJB26
塩見鮮一郎著 「弾左衛門とその時代」
この本読んで弾左衛門に興味を持って、刑場について調べたことがあったな。
磔、獄門、火罪以外にも、鋸挽なんて死刑があって驚いた。
ちなみに、鋸挽といいながら鋸は使わない。
返信する
016 2024/01/21(日) 20:55:52 ID:E27WpnJB26
「首の皮一枚」の意味を調べると「とても危険な状態だった中で危険を回避した様子」と書かれているが、
浅右衛門のようなプロにとって、抱き首は斬った首が変なところに飛んでいかないようにするため、
そしてうつ伏せに倒れさせるための職業的美学だったのよな。
返信する
017 2024/01/21(日) 21:39:56 ID:xaKHFsvlP.
>>7 そのためのものだったんだが、実は斬首のあともしばらく意識があるという
研究がされていた
返信する
018 2024/01/21(日) 21:46:21 ID:E27WpnJB26
019 2024/01/21(日) 23:38:28 ID:D9gVYlgRuA
首切って頭だけ木の板に乗せて「さらし首」は白黒写真が残っているから、
外国人が撮影したのだろうけれど250年ほど前までは日本でもあったはず。
返信する
020 2024/01/22(月) 17:35:53 ID:LQi8Xbn3Tk
とり板でも見たな
しつこい野郎だぜ
返信する
021 2024/01/23(火) 16:56:46 ID:mmCXQl/Jv.
022 2024/01/24(水) 11:27:02 ID:5pG7PWGkHg
斬首獄門って普通にありましたよ
なんなら釜茹で火あぶりも
返信する
023 2024/01/25(木) 03:20:06 ID:Fbq4TLzZX6
公開処刑=ギロチン文化って言いたいの?
公開処刑なら日本にも当然もあったが
ギロチン導入して死刑の効率化が図られた背景=対立陣営同士が法を盾に死刑宣告合戦
の歴史は日本には無いんじゃないか?
返信する
▲ページ最上部
ログサイズ:7 KB
有効レス数:21
削除レス数:2
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
討論・議論掲示板に戻る 全部
前100
次100 最新50
スレッドタイトル:何故、日本ではギロチン文化が流行らなかったのか
レス投稿