男の幸せ 男子の本懐


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001 2024/12/29(日) 13:59:26 ID:haigaBX8mo
不倫やら不同意性交、性接待、性上納などが溢れる社会を観察して、果たして男の本性は何かを考えていたら、Xのこんなポストが目にとまった。果たして男の本性、男の幸福はどちらの愛で満たしうるものなのか?非婚時代だからこそ問いたい。家族、家庭は、男が真に求めるものかと。
https://x.com/nanpananpa829/status/187001619...
男は美人と結婚して1000回SEXするよりまぁまぁ可愛い子1000人と遊びたいタイプが大半だから結婚向いてない。特に日本は「結婚して数年でセックスしなくなる」「数年で離婚したくなる」が当たり前。もはや結婚は男にメリットがない。男は猛烈に金稼いで日替わりで若い美女と遊んでる方が人生充実する。

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029 2024/12/31(火) 14:09:19 ID:t3cl0t/mn.
>>28

「昔からこの祭りで踊るのは女装した男と決められています。女が踊ることはできません。理由はよくわかりません。そういう伝統なんです」
そう、分からないんだ。当人たちには。まさかヒジュラが去勢誘導羊の表現だとは認識できてはいない。我々が、まさか父親が去勢誘導羊だとはこれっぽっちも想像が至らないようにね。

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030 2024/12/31(火) 15:32:03 ID:t3cl0t/mn.
確かに日本は江戸時代までは母系制の匂いも立ち込める不思議な部族的社会であったろう。明治の文明開化は、そんな日本が微睡む楽園からの追放、まさしく文明化イベントであった。明治民法で父系制が法的に整備され、いささか人工的だが、誰も拒まぬ家族主義国家観の下に旧来の意識が文明化の装いをもって剪定、日本的文明国家体制に糾合された(1898年)。民法自体は意外に浅い歴史なんだな。

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032 2025/01/01(水) 09:01:15 ID:wxmpZdm1fM
父親とは、各戸に配されたる去勢誘導羊なり。

これはなかなか深いな。
家畜は導入すれど去勢は、明治になるまで日本は採用しては来なかった。
明治になってからも。イザベラ・バードは、日本の馬に散々手こずらされ、日本人の馬の扱いの荒さに驚愕したが、去勢されていなかったからである。江戸時代までの日本が、半文明ムラ社会にとどまり、半母系制を維持してきたのも、牧畜技術の生半可と通じ合っている。論文書けそうなテーマやな。

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033 2025/01/01(水) 09:32:05 ID:iVx0g76Dz.
結婚制度ってのは女にはメリット多数、男にはデメリット多数。
だから男は結婚すると損する。女は得する。

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034 2025/01/01(水) 11:20:49 ID:wxmpZdm1fM
比較文明論への接続可能性をこちらに書きました。
https://bbs77.meiwasuisan.com/thought/1690973015/1...

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035 2025/01/01(水) 11:31:09 ID:wxmpZdm1fM
「モーゼと一神教」がなぜ秀逸なる論考なのかは、上記の、宗教世界での牧羊を確立した契機を出エジプト記に見出したからだ。西洋史は、これによって、古代エジプト的専制ルートから離陸し得た。ギリシャの多神教ポリス民主制、ローマのキリスト教伴走民主制が、西洋史に基盤を与えた。 

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036 2025/01/01(水) 11:58:29 ID:wxmpZdm1fM
エジプトの場合は厳密には宦官とは言わないです。
エジプトやメソポタミヤの場合、神官が去勢して神に仕えると言う主旨なので官吏ではないんです。
宦官とは奴隷ですそもそもは・・・・。
インドから支那中国にかけては遊牧民的な風習が影響を与え戦争などで獲得した捕虜を奴隷にするために去勢した・・・・この場合家畜を去勢するのと同じ意味を持っていました。
それが宮殿を構えた王朝に発達すると支那中国などでは女性も所有物扱いする傾向が在るので皇帝や王の持ち物に手を使用人が付けないように去勢された奴隷を後宮の官吏に使うようになった・・・だから当時インドから支那にかけて遊牧民の商人は多くの宦官を奴隷として取引していたと言われている・・・・。
宦官とした場合、ですから厳密にはインドから支那に在った去勢された奴隷が起源のものを指します。
宦官とは父系王朝の始まりとともに始まったとされるのが普通です。
ですから紀元前1700年前後と言うあたりが始まりと言えるのではないかと思います。
知恵袋から

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038 2025/01/01(水) 13:43:33 ID:wxmpZdm1fM
古代エジプトのミイラに去勢個体があったのは事実だが、宦官がいたかどうかは分からない。
牧畜文化系必ずしも文明化はできない。一夫多妻制に迷い込んでしまうと、一部王家がハーレムに宦官をセットできなければ、部族段階に沈むこと、恰も母系制保存の非文明日本のごとしだ。
ボビーオロゴンのナイジェリアみたいなものだ。

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040 2025/01/01(水) 16:57:11 ID:wxmpZdm1fM
日本は、惣村、郷村のムラ社会を骨組みに、律令制残滓の朝廷と、大名領国制が肉付けした分権支配体制で半文明であったが、イスラムは、教義には由来しない創立当初のアラブの必要に過ぎなかった要らぬ一夫多妻制を徒に広めた結果、血縁親族組織を骨格とした部族組織乱立より他に国家統合の動機がなく、対抗上、多くは中央ユーラシアの騎馬民族系武闘組織の転写みたいな帝国を模造したに過ぎなかった。イスラム教は、牧羊原理の雛形も持たず、宗教指導者なるウラマーやアーヤトッラーが、政治に介入する二重支配で、なおかつ、国家の枠を超えて実質的影響力を及ぼさんとする不明朗さ故に、文明としての確たるシステム化を果たしてはいないイスラム国家を出現させた。永遠なる文明未満、ご都合主義的非文明擬似国家が、イスラム国家であるだろう。

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041 2025/01/01(水) 20:29:54 ID:wxmpZdm1fM
イスラム教は、国家体制、システムを指定しない。シャーリア遵守を担保すべく、イスラム指導者を司法機関要所、法務大臣に据えれば可だ。
イスラム教は国家原理をもたぬことユダヤ教に等しい。
国家なき流浪の民が保持し得たユダヤ教が文明を構成しないと同じく、イスラム教もまた文明を構成しない。キリスト教や儒教、仏教は、文明を創造できるのに。

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042 2025/01/01(水) 22:14:11 ID:wxmpZdm1fM
ユダヤ教では羊は供犠の対象イメージだが、キリスト教に至るや、イエス・キリスト自信が良き羊飼いイメージをまとい、また、同時に犠牲の羊として命を捧げた形になる。迷える子羊は人類に相当する。羊を養う者であり、自ら犠牲の羊でもあるイエスによってユダヤ教律法主義は乗り越えられ、トーラー重視、儀礼重視から愛と救済の導きのキリスト教へ転換した。イスラム教はどちらかというとユダヤ教に似ているが、去勢の上を行くイエス・キリスト自身の供犠という鮮烈な契機が、突出している為である。父なる神風特攻隊みたいな衝撃がキリスト教を悲愴ならしめ、永遠化した。

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043 2025/01/02(木) 20:44:23 ID:Q2UZ5WjC/c
去勢をさらに1段階高め、強化したのか供犠。弱めたのが割礼。供犠は、狩猟民にも遊牧民、牧畜民、農耕民にもある。供犠は、人に対して行えば
人身御供、王殺し、生贄である。狩猟民の供犠は、魂送りであり、再来を希う。牧畜民の供犠は、支配、コントロール、管理である。農耕民のそれは、再生、賦活、更新、蘇りに傾いたもの。王殺しも再生儀礼の後継だ。

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044 2025/01/03(金) 20:58:43 ID:SkxgnuGXnQ
割礼とは有印有徴行為、家畜への焼印、地域猫の桜耳みたいなもの。通過儀礼にも用いられるが、つまり、去勢=家畜化イメージを借りた神と人間の従属関係の表象するボディモディフィケーション。

焼印やタトゥー:所有や帰属を示すために用いられる身体改変。

洗礼(キリスト教):信仰への加入と神への帰属を象徴する行為。

僧侶の剃髪(仏教):自己の放棄と宗教共同体への帰属を示す行為。

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045 2025/01/03(金) 21:24:46 ID:SkxgnuGXnQ
自己家畜化

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047 2025/01/03(金) 21:42:37 ID:SkxgnuGXnQ
自然と文化の二項対立とその移行を語る神話などは、往々にして構造主義の定型パタン。
その意味では、父親誕生こそが文化という神話があってしかるべき。

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048 2025/01/04(土) 16:28:39 ID:gM5LSuVnrg
>>47
そんな神話は存在しない。
構造主義が得意とする、自然と文化の二項対立とその移行を語る神話という定型パタン、これ自体大いに怪しい根拠なき創作に過ぎない。
だからというわけでもないのだが、父親→文化はおよそない。父親不在文化があるからだし、父親の誕生は文化ではなく、文明の誕生に紐づけられるからだ。
山極さんはハーレム型ゴリラの研究だから、ゴリラに家族や文化の端緒、切れ端を見てしまい勝ちだが、霊長類学から類推できるのは、文化の特殊性の逆照射。霊長類の生態に観察できるのは文化の断片ではなく、核生成因子、すなわち、相転移のきっかけ因子の「不在」だろう。しかもこれは任意の何でも構わなかったりするが、観察は不可能だ。こんなに文化の萌芽めいている行動が散らばっているのに、なぜ文化にならないの?というフラストレーションに苛まれるのが霊長類学ではないか?
もっと虚しい試みが、化石人類の過去の生態に空想の翼を広げ、あたう限りの過去に人類の自己家畜化の起源の楔を打ち込もうとする暴挙だ。こういう根拠なきシナリオに瞠目する必要はないし、先物レースでマウンティング衝動は、見苦しい光景だ。

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049 2025/01/04(土) 17:16:14 ID:gM5LSuVnrg
これとかな↓
『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c68d3e54a2c0dde5d5998...

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050 2025/01/05(日) 08:25:49 ID:8UUhS2E.IE
厳密には、生殖コントロールまでできないと家畜化とは言えないが、品種改良をしてもペットは家畜類型から外れるのは食用、用役、資材化されないからであろうか?その意味でなら人類は、用役のみで家畜化だから、社畜どまりなのかも知れない。

自己家畜化には二つの意味がある。一つはこの言葉の本義である自発的家畜化で、生存戦略としての共生、寄宿・寄生行動の進化。効率や安全を優先した結果選ばれ、促される。
今一つは、人類が栽培や牧畜というテクノロジーとして創案、発達させた環境変造、対象を馴化、管理、制御する方法論を延長し、自らの集団の制御、管理、政治的支配にそれを応用したことから、ダンバー数以上の規模の集団統率、経営に展開して国家や国家のサブシステムのガバナンスを機能させることに成功した。それに伴うガバナビリティ(統治されやすさ)の進化が人類自身の上に及ぼした変容だ。人類の自己家畜化という場合には、当然後者の意味であるから、ほぼ文明化と同義になる。

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051 2025/01/05(日) 08:58:30 ID:8UUhS2E.IE
用途故に家畜と呼ぶのが誤りで、生存スタイル故に家畜、もしくは依存生物と呼ぶのが正しいのかも知れない。いわゆる家畜もペットや展示動物、蚕も人間も等しく扱えるタームが必要。

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052 2025/01/05(日) 09:17:27 ID:8UUhS2E.IE
家畜という呼称は、片利共生だ。
ギリシア語に既にシナントロープという言葉があるじゃないか?ただこれも人間中心主義である。
シナントロープ(synanthrope, synanthrop。ギリシア語で syn-「共に」+ anthrôpos「人間」)とは、人間社会の近くに生息し、人間や人工物の恩恵を受けて共生する、野生の動植物を指していう。

何か他に中立的用語は作れないか?
で、作った。シンバイオノス。
「シンバイオノス」(symbionos, 共に生きる者):シンバイオシス(共生)から派生。

体内共生細菌も一括りにできる。

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053 2025/01/05(日) 10:09:59 ID:8UUhS2E.IE
話がそれ過ぎたか?
ならば生態行動学上は決して否認し得ない浮気の話に戻すか。
有名な、オシドリはおしどり夫婦に非ず。
https://www.sankei.com/article/20150411-JNVZSUPMEVLYR...
これが自然、ネイチャー。
シンバイオシスやそれに伴う人倫や個人主義から、浮気が否認されたり、自然摂理から反転した少子化価値観が正当化されるのはなぜだろうか?いや、そんなことはどうでもいい。生きるためには制度は破られ、壊されるにきまったものだ。オシドリの浮気に学ぶ事があるとしたら、それに尽きる。
生きるためには共生も辞さない生命は、生きるためなら共生が作り上げたどんな堅牢な柵だって打ち破るだろう。

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