>>8 確かに私達は宇宙に関して、決して「全てのことを知っている」でも「大部分のことを知っている」わけでもない。
たとえば私達は将棋の全ての局面を知ってはいないし、今後知ることもできない。
その数は既知の宇宙の全ての素粒子の数よりも圧倒的に多いからだ。
当然、「大部分知っている」とも到底言えない。
全局面のうち、針の先ほど・ケシ粒ほど・どんな喩えを用いても表現しきれないほどに小さな部分しか知らない。
しかし、だからと言って「私達は将棋について何も知らない」とするべきかというと、全く違う。
確かに将棋の戦法はまだまだ進歩するだろうし、500年後の最強棋士(確実に人間ではない)に対して、
現代の名人は全く歯が立たないだろう。
それでも指してくる手は名人から見て全く理解不能ということはないし、「名人が開始から30手以内に負けることはない」
という予想には全財産を賭けてもいい。
500年後の何で出来ているかもわからない架空の棋士に対して、このようなはっきりしたことが言える理由は、何も不思議ではない。
私達はすでに将棋のルールを十分によく知っており、そこから来る限界も知っているからだ。
宇宙の法則はよく将棋のルールにたとえられるが、この将棋について言えることは、ある程度までは宇宙についても当てはまる。
もちろん私達の宇宙の法則についての知識は、将棋のルールとは違って「完全」からは遠い。
思わず「ほど遠い」と言いたくなるが、どのくらい「遠い」のかについては議論の余地がある。
仮に「完全」からは「ほど遠い」とするとしても、文明発生以前の「何も知らない」状態からの距離と比べて、
どちらがより「ほど遠い」かという相対的な意味ではどうか?
「そんなに遠くない」と考えるのはうぬぼれが過ぎようか?
これらがこれから先の主要な論点になるわけだが、結論から先に言うと「うぬぼれとばかりは言えない」というのが私の判断になる。
相対論革命があり、量子論革命があり、原子力が解放され、宇宙と地球の年齢がわかり、遺伝のメカニズムが明らかになり、
コンピューターが発明されインターネットが張り巡らされる、etc. etc.
20世紀のたったの百年間の出来事だ。
21世紀の百年間で、これに匹敵する驚きの進歩がもたらされうるか?
率直に言って無理だとしか思えない。これは科学の進歩が止まるからでも、人間が馬鹿や怠惰になるからでもない。
単純にもうすでに「かなりのところまで来てしまっている」からだ。
だからSFの世界では有名なクラークの法則「充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない」は、過去から現代に対しては
正しかったかも知れないが、現代から未来に対してはもはや正しくない。
500年前の中世からタイムマシンで連れて来られた人間にとって、現代はどこもかしこも魔法だらけにしか見えないだろうが、
現代人が冷凍睡眠して500年後に目覚めたとき、魔法としか説明しようがないような科学技術は生まれていないだろうということだ。
同じことが、現代の人間から見た異星人の科学文明に関しても言えるのではないだろうか。
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