佐波賀(さばか)集落を上下に分けるに至った大蛇伝説 蛇島(じゃじま)
京都の舞鶴港といえば、関西の北の玄関口として、また軍港色の強い港として栄えた。
とりわけ東港は明治期より日本海軍の重要港湾としての地位を確立。日露戦争の日本海における海戦時には多くの軍艦がここから出航した。
今回紹介する蛇島はその舞鶴湾の中央部に位置し、鬱蒼たる樹林で覆われ、周囲585m、標高40mの無人島である。
ちなみに蛇島の隣りには仲良く烏島が寄り添っている(※蛇島といえば、
>>17の長崎県佐世保市のソレも同名であった)。
島には天正年間(1573〜1592)に若狭の武将逸見駿河守(へんみするがのかみ)の居城が設けられ、『ヘンミ』が『へビ(蛇)』と変遷し、
さらに『ジャ』と発音させてこの島名になったと、『丹後旧語集』に記されている。
蛇島と冠されるならば、大蛇伝説があって然るべきである。案の定、『舞鶴市史』『舞鶴の民話1』には、こんな話が伝えられている。
昔、佐波賀集落が子ナギと呼ばれる谷あいにあった時代のこと。
いつのころからか、港の無人島に大蛇が居ついてからというもの、夜な夜な海を渡ってきては集落を襲い、村人たちを苦しめていた。
困り果てた村人たちは、なんとか被害を食い止めようと額を寄せ合い、知恵をしぼった。
その結果、対岸にある余部(あまるべ)村の雲門寺の和尚・開山普明国師に意見を仰ごうということになった。
和尚いわく、「……ならば谷を境に、村を上下に分けて住むがよろしい。蛇めは日のささぬ谷間を好む習性がある。
子ナギにおびき寄せ、入ったところをとっちめてやるとするか」と、重い腰をあげて、さっそく準備にとりかかった。
ある夜、大蛇が巨体をくねらせて子ナギの村へ侵入したはいいが、そこは完全に無人と化している。大蛇が好む食料とてありはしない。
あきらめて島に帰ろうと身体をひねったら、退路を断つ形で和尚が立ち塞がっている。
「そなたの悪行ここまでじゃ。さんざん村人を苦しめたからには、ちと灸を据えねばなるまい」と言うと、錫杖を振るって大蛇の胴体を打った。
さすがの大蛇も参り、すごすごと退散していった。
「これで懲りてくれればよいが……」と、和尚は島へ去り行く大蛇を見ながら言った。
こんな事件があってから、大蛇は姿を現さなくなり、現在の『上佐波賀』『下佐波賀』に至り、大蛇が棲んでいた島を蛇島と呼ぶようになった。
一説によると、大蛇は雄島(福井県)へ逃げたともいわれる。
丹後の伝説27
http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn27.htm... 丹後の地名資料編 佐波賀(さばか)京都府舞鶴市佐波賀
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/sabaka.... 丹後の地名資料編 蛇島(じゃじま)京都府舞鶴市佐波賀
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/jyasima... 舞鶴市民新聞社の運営する舞鶴市近郊ローカルニュースサイトWeb みなと舞鶴 NO.86「蛇島」と「烏島」
http://www.maipress.co.jp/menu/rensai/86.htm...
返信する