熊野川に御船明神が祀られた島あり 御船島(みふねじま)
我々は『島』をイメージするとき、ほとんどの人が海上に浮かぶシルエットを思い浮かべるにちがいない。
前スレを含め、9割方、海という水域にある島を取り上げてきた。変化球をつけるべく湖中の島もやった。
前スレ
>>412の猫島などは巨大な池の中のソレだった。
島の定義によれば、「四方を水に囲まれた小陸地を島と呼ぶ」とある。とすれば、あとは川の中の島も選んで然るべきかもしれない。
実は以前から『川中島』(仮にこう命名する)で狙っていたネタがあった。それもわりと僕の地元近辺にあるのだから、ますます見すごせない。
それが御船島である。三重県南牟婁郡紀宝町に属し、熊野川河口より約2km上流に位置する堆積岩から形成された小島で、当然ながら無人島だ。
実はこの御船島、少し離れた対岸に鎮座する熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の社地として指定されており、島には御船明神が祀られているという。
毎年10月15から16日にかけて、熊野速玉大社の例大祭として『熊野速玉祭』という神事が催される。
そのとき15日を『神馬渡御式(しんめとぎょしき)』とし、翌16日を『御船祭(みふねまつり)』が行われる。
速玉大社は『熊野十二所権現』と総称される複数の神を祀るが、本祭礼はその中でも主祭神である速玉大神と夫須美大神に対してのもので、
宗教民俗学的な解釈にしたがえば、常世から来た神霊が熊野川を遡上して御船島に鎮座したあと、乙基河原を経て新宮に遷座したという熊野権現来臨の
ありさまを演じた祭りである。
特筆すべきは16日午後の御船祭。
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が年に一度、神幸船で御船島に渡り、ふたたび速玉大社の社殿に還ってくるという神事で、
夫須美大神が来臨した様子を再現する祭礼のことだ。
神輿から神霊が諸手船(もろとぶね)に曳かれた神幸船に移されると、雅やかな神楽が奏される。
すると熊野大橋下の川原で艫(とも)を岸につけて一列になっていた9雙の早舟が我先に岸を離れる。
舟を操る男たちは川上を遡り、はるか御船島を目指すのだ。そして御船島を3周して対岸の相筋河原にゴールする上がりの早舟競漕が始まる。
上がりの早舟競漕が終了すると、斎主船に曳かれた諸手船、神幸船が上がってくる。
諸手船の上では女装の演者が櫂を回して、行く手を望遠するしぐさの『ハリハリ踊り』が行われる。
斎主船が相筋河原に着くと、御船島の上に立つ神職の合図で、下りの早舟競漕がスタート。岸で待機していた早舟が御船島を2周して神社裏の河原にゴールする。
神輿に遷された神霊とともに神職ら一行は御旅所へ渡御し、前夜と同様の祭儀を執行したあと、夜中、神霊を奉じて大社に戻り、
神霊を大社の第二殿におさめて、祭は幕を閉じる。
このような緒手船神事のなかで9隻の舟が競漕する船渡御は全国に類例がなく1800年以上の伝統を誇るという。
勇壮な競漕を見せる早舟は古式を保った舟形で鯨船の祖形といわれ、中世に強力な武力をもってその名を知らしめた熊野水軍の面影を偲ばせるもの。
『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』という鎌倉後期の私撰和歌集に御船島が登場する歌がある。
「三熊野のうらわにみゆるみふね島 神のゆききにこぎめぐるなり」
熊野速玉大社
http://www2.ocn.ne.jp/‾sanzan/NTTcontents/hayatama/index.htm
HBのページ 御船祭り
http://blog.murablo.jp/crushkun/kiji/15587.htm... 熊野ヒーリング 熊野速玉大社例大祭〜御船祭
http://blog.murablo.jp/kumano-healing/kiji/268628.htm... YOMIURI ONLINE 傷ついた聖地 復興への祈り
http://www.yomiuri.co.jp/zoomup/zo_111031_01.ht...
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