自殺と自己犠牲
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001 2017/06/24(土) 16:19:14 ID:6Fefv5bClQ
自殺と自己犠牲の違いとは何か?
自殺は罪悪となるが自己犠牲は最高の善行となる。
自殺と自己犠牲の差は紙一重・・・
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002 2017/06/24(土) 16:25:42 ID:EdSExZAg7.
>自殺は罪悪となるが自己犠牲は最高の善行となる。
宗教の概念を前提のように語られましても。
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003 2017/06/24(土) 17:17:33 ID:olNgUUJ3Jg
004 2017/06/24(土) 17:39:10 ID:6Fefv5bClQ
自殺を肯定する宗教はひとつもない、不思議だがこれは全ての宗教に一致したことだ。
同様に自己犠牲を肯定する宗教はとても多い、というより肯定しない宗教は無きに等しい。
自己犠牲を尊ぶのは宗教だけではなく軍隊や革命組織にも共通する価値観でもある。
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005 2017/06/24(土) 18:41:10 ID:cXpM9Hw/9k
>自殺を肯定する宗教はひとつもない、不思議だがこれは全ての宗教に一致したことだ。
不思議ではないみたいです。
宗教が自殺を肯定すると、宗教の存在が危ぶまれるためです。
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006 2017/06/25(日) 16:16:23 ID:SzwF7IIBXU
ガイアナ人民寺院の集団自殺は自殺を禁じる宗教の例外か?
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007 2017/06/26(月) 22:53:34 ID:ScTAjRAv4Y
例えば、日頃元気がよく、社会的にも高い評価をうけている中年の男性が突然自殺してしまうことがあります。
これは「晩発性うつ病」ともよばれています。
この人達は、不安になり、陰気な気分に襲われ、自己を痛めつけ、自殺傾向を強くいだいています。
しかし、これらの人々は、若い時からのうつ病の人々に比べ人格もしっかりしており、人間関係も悪くなく、家族にもうつ病の人はありません。
また、最近特に強いストレスを受けたり、ショックを受けたりしたこともあるようにも思えません。
このような人が、急にうつ状態になり自殺してしまうのです。周囲の人はあれこれ理由を考えますが、本当のところは思いあたりません。
もちろん、人生は苦しみに満ち、生活には多くの難題がつきつけられます。
しかし、これらの人々の場合、このようなストレスが特に多いとも思えないのです。
家族は呆然とし、嘆き悲しみます。
そして、あれこれ理由を考え、この人の直面した問題には外から思うよりもっと深い所に思ってもみない困難が隠されていて、
それが本人を極度に苦しめていたのだろうと推察します。
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008 2017/06/26(月) 22:56:36 ID:ScTAjRAv4Y
私達の神経系は絶え間なくストレスを受け、これが老化と共に神経系の異常としてあらわれます。
たとえばノルアドレナリン系です。
しかし、セロトニン系の活性が高く維持されている間は、本人の精神状態は安定しています。
それどころか、このような人々は、社会的にも高い地位を得、人から尊敬されているケースが多いのです。
しかし、セロトニン系も年と共に劣化します。
セロトニン系はストレスホルモンにより影響を受けます。
ストレスホルモンの一つであるコルチソルはセロトニンの受容体(=5HT1A受容体。これが多いとうつ病にならない)の量を滅らします。
そして、セ口ト二ン系の活動がある程度以下になると、他の神経系の異常による症状の発現を抑えられなくなるのです。
日本でも、若い時から苦難の人生を歩み、尊敬される老年時代を送つている人が突然自殺したりします。
一方、欧米では、ナチの強制収容所を生き延び、その後、杜会的・政治的に活動して人々に勇気を与えてきたような人が自殺してしまい、
世間を驚かせ、困惑させることがあるのです。
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009 2017/12/25(月) 10:26:04 ID:Q4hag/saSY
>>4 >自殺を肯定する宗教はひとつもない、不思議だがこれは全ての宗教に一致したことだ。
自殺を肯定する宗教はその教徒が全員自殺してしまって存続しないからではないですかね。
もしかしたら存在してたかもしれないけど、上記の理由で一般に知られるほど存続しなかっただけかもしれませんよ。
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010 2017/12/25(月) 19:05:57 ID:g7R1Iu5Ekw
>自殺を肯定する宗教はひとつもない、不思議だがこれは全ての宗教に一致したことだ。
たとえば仏教は自殺自体を否定も肯定もしていません。
仏教においては、死に方は問題ではないと考えます。
それよりも問題なのは、未練を残してこの世を去ることです。
極端な話、未練がないのなら自殺してもOK、と考えるのが仏教のスタンスです。
仏教の僧侶は、しばしば自殺と見紛うような死に方をします。その一つが即身成仏です。
生きながらにして食事を完全に断ち、悟りを開きつつ死んでいく即身成仏は、人間的にみると自殺以外のなにものでもありません。
しかし、仏教において即身成仏というある種の自殺方法は、未練を断ち切って悟りを開くために死ぬという神聖な意味合いをもっています。
また、報道写真で、外国の僧侶が道路で座禅を組みながら烈しい炎に焼かれている写真を見かけたことがある人も多いでしょう。
かつてのベトナムやチベットなどでは、僧侶が政府に対して焼身自殺という手段で抗議をする姿がよく見られました。
仏教は自殺自体に罪を置いておらず、極端に言えば、自らの信じることのためなら自殺をしても構わないのです。
死に方は問題ではない…仏教は徹頭徹尾、人間が自分自身と向き合って出した答えを尊重するスタンスに立っています。
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