宗教の存在意義 宗教は何のために存在するのか?


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001 2022/12/27(火) 08:16:46 ID:B2s/uQ8ESU
宗教とは、人間が作った虚構であり偶像であり方便である、それが証拠に宗教は以下の点を的確に説明できないでいる。

💀物質界の説明
 これは自然科学が正確に説明している

💀あの世の説明
 これもスピリチュアリズムが詳細に説明している

💀霊的な説明
 同様にスピリチュアリズムが詳細に説明している

💀精神世界の説明
 これも心理学や精神医学が的確に説明している

💀人間世界の説明
 これも政治学・経済学・歴史などの社会科学全般が的確に説明している

以上から、宗教が的確に説明している事は何もなく、あるとすれば虚構の世界についての説明だけである。
よってこの世の一切の宗教は、虚構の世界しか説けず偶像を呈示する事しかできない虚妄の存在と言えよう、そしてそれこそが宗教である。
このような虚構・虚妄が憲法よりも上位と考えるのは完全な誤りであり、危険なカルト思考と言えよう。
憲法や法令などの人間が作った決め事も、全ては自然界の摂理よりも下位的な存在でしかない、況や宗教などはそれ以下の存在と言えよう。

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002 2022/12/27(火) 08:38:27 ID:51JBz3.zpk
信長の比叡山焼き討ちの時に信者達は全身全霊で祈っただろう「仏様、助けて〜〜!!」
結果、皆殺し。
は?  寝てたのか、仏?
神も仏もあるかいな。信じられるのは己の力のみだ。

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003 2022/12/27(火) 09:07:33 ID:Dq0Nl6AK3o
科学的思考だけで物事を説明できると勘違いしているのが人間で、それは本来の人間の大脳辺縁系の機能不全特性が原因。
その大脳辺縁系機能不全を補うものが宗教的思考。
ただそれだけの話し。

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004 2022/12/27(火) 09:08:52 ID:AwQTXI5A2U
[YouTubeで再生]
ロシア正教会やイスラムのような「支配の道具」でもあるな。
しかし「対立の根源」でもある。

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005 2022/12/27(火) 09:20:19 ID:BsTumNrTYY
ヒエラルキーの頂点に金を集める集団、これに近いシステムはネズミ講
あの世という誰も見たことのないファンタジー世界を説いて人々の心につけ込む詐欺師と言ってもいい。
神がいると言うならば世界中の大災害で人を殺した責任を問いたい。

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006 2022/12/27(火) 09:31:52 ID:QfZ7XxKTbQ
死に関わるバイアスは 次の様に作用します。

人は、いつか死ぬという事実に直面すると、それを否定する話を何でも信じてしまい、
「本当は永遠に生きられる」と思い込みます。
これはバイアスの中でも最大のものでしょう。400件以上の研究で実証されていますから。
研究方法は巧妙かつシンプルです。説明しましょう。

まず、あらゆる面で似通った人々を2グループに分けます。
片方には、皆いつか死ぬことを伝え、他方には何も伝えず行動を比較します。
こうすれば、死を意識することで行動にどんな影響があるかを観察できます。

何度やっても結果は同じです。
自分の死を意識したグループは、死から逃れて永遠に生きられる話を信じる傾向が強くなります。
最近の研究を例にあげると、不可知論者、すなわち特定の宗教的信条を持たない人を2グループに分け、
一方には自分が死んだ時のこと、他方には、孤独な時のことについて考えてもらいます。

その後、再び宗教的信条をたずねます。
死後のことを考えたグループは、神とキリストへの信仰を表明した人が2倍にのぼりました。
2倍です。実験前は全員が不可知論者でした。
でも、死の恐怖を与えるとキリストにすがるようになったのです。

死を考えると証拠の有無とは関係なく、信条にバイアスがかかることがわかりました。
これは宗教だけでなく、不死を約束する信念体系なら、どんなものにも作用します。
後世に名を残すことや、子どもをもつこと、 大きな集団の一部として生き続けることを約束する
国家主義にまで作用します。
これは人類の歴史の過程で形作られてきたバイアスです。

これらの実験におけるバイアスの基礎となる理論は「存在脅威管理理論」と呼ばれます。
発想は単純です。
私達が培ってきた世界観、すなわち、この世界や自分の居場所について私達が語る物語とは、
死の恐怖をコントロールするために存在します。

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007 2022/12/27(火) 09:34:10 ID:QfZ7XxKTbQ
不死の物語は、何千もの表現方法がありますが、一見多様に見えても実際にはたった4つの基本形式しかないと考えています。
そして、歴史の中で基本形式は繰り返され、時代ごとの言葉を反映して、わずかな違いが生じているだけだと考えます。


1.永遠に生きる「不死」

1つ目の物語はとてもシンプルです。
死を避けることを望み、自分の体のまま、この世界で生き続けるという夢が最初の最もシンプルな不死の物語です。

信じられないかも知れませんが、実際、人類の歴史上ほとんど全ての文化に、不老不死の薬や若さの泉といった、
私達に永遠の命を与えるものの神話や伝説が残されています。
古代のエジプトや バビロン インドにもありました。
欧州でも錬金術師の著書に記されています。

今でもこの物語は信じられていますが、科学の言葉を使って語られる点だけが違います。
だから100年前にホルモンが発見された時、ホルモン治療で老化や病気を治せると期待されたのです。
今、期待されているのは幹細胞遺伝子操作、ナノ・テクノロジーです。
ただ、科学が死を止められるという発想は、不死の薬の物語に新たな一章を加えるに過ぎず、
文明と同じくらい長い歴史があるのです。

一方、霊薬を見つけて永遠に生きるという発想にすべてをかけるのは危険なことです。
歴史を振り返ると、過去に不死の薬を求めた人々は、共通して皆死んでいるのです。


2.「復活」して生き返る

だから次の手が必要になります。
それにうってつけなのが2番目の不死の物語 ―「復活」です。

その根底ある考え方とは、自分に身体があることです。
私達が死すべき存在であっても、復活して生き返れるのです。キリストと同じです。
キリストは死後3日間、墓の中にいて、その後復活をとげました。
誰もが復活できるという考え方は、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒にも見られます。

復活を信じる気持ちは、あまりに深く根づいているので、科学の時代に合わせて新たに語り直されています。
例えば人体冷凍保存です。
これは人の死後、身体を冷凍し、テクノロジーが進歩してから解凍し、治療して復活させるのです。

全知全能の神が復活させてくれると信じる人がいる一方で、全知全能の科学者を信じる人もいるのです。

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008 2022/12/27(火) 09:39:14 ID:QfZ7XxKTbQ
3.精神的な「魂」の不死

ただ、「生き返って墓から出てくるという」発想自体がB級ゾンビ映画のようだと思う人もいます。
そんな人達にとって、身体は汚らわしく頼りないので、永遠の命を保障できそうにありません。
だから3つ目の、より精神的な不死の物語に希望を託します。

死後 身体を置き去りにして「魂」が生き続けるという考え方です。
この世の大部分の人が魂の存在を信じており、多くの宗教で教義の中心です。

ただ、魂という考え方が、今の形であれ伝統的な形であれ広く信じられているにもかかわらず、
デジタル時代に合った形で語り直されています。
例えば、身体を残して、精神・本質・本当の自分をコンピュータにアップロードし、
アバターとしてエーテルの中で生きるという考え方です。


4.後世に残す「遺産」

これには懐疑的な人もいます。
科学的な根拠の中でも、神経科学を検討すると、精神や本質や本当の自分は身体の特定の部分 ― つまり脳に存在するからです。

そんな懐疑主義者達は、4つ目の不死の物語 ― 後世に残す「遺産」に安らぎを見いだします。

これは、現世に生きた証を残すという発想で、ギリシャの偉大な戦士アキレスが、トロイ戦争で命と引き換えに、
不滅の栄誉を得ようとしたことに似ています。

名誉の追求は現在も 広く受け入れられています。デジタル時代では名誉は得やすくなっています。
偉大な戦士や王様や 英雄である必要はなく、インターネットとネコの動画さえあればいいのです。

もっと具体的に、生物として子孫を残したいと考える人もいます。
あるいは、国家や家族、部族といった、より大きな集団の遺伝子プールの一部として生き続けることを望む人もいます。

それにも懐疑的な人は、「遺産」を残すことが本当に不死と呼べるか疑っています。

ウディ・アレンの言葉です。
「ぼくは国民の心の中に生き続けるより、自分のアパートで生き続けたい」

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009 2022/12/27(火) 09:48:05 ID:zH2LvrBW1M
核エネルギーが問題なのではない
それで爆弾を作って人を殺す事という「手段」が問題
宗教もそれ

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010 2022/12/27(火) 11:53:22 ID:fzxOfVdqAQ
比較的短めで読めておもしろかった。
「不死
 復活
 魂
 遺産」

普段行かないけれど
オカルト板も捨てたもじゃないな~

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011 2022/12/28(水) 01:02:19 ID:hjiY0P56P.
なぜ人を殺してはいけなのか?って質問に日本人はいろいろ答えが出てもはっきりした答えは出ないらしい
欧米人は「神様が殺すなって言ったから」って多くの人が答えると聞く
宗教の存在意義ってそのへんじゃないか

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012 2022/12/28(水) 09:20:26 ID:wtiQsGU4gU
それに基づいて、自殺についても「自分で自分を殺める行為」として罪悪視する宗教が多いですよね。

ただし、ほとんどの宗教(※仏教を除く)で、自殺を禁じたり、自殺者を「あの世で罰を受ける」
などと断罪して差別したりしているのは、別にそれが「普遍的な事実である」ことの証左ではなく、
宗教というものが、科学や医学が未発達だった時代に生まれた、現代の目で見れば野蛮で未熟な
思想であるために過ぎないと思われます。

仮にそれが「信者の自殺を防ぐための方便」だったとしても、それで自殺を止められなかった場合には、
死者に鞭打ち、自死遺族の苦しみに追い打ちをかけ、さらには遺族への差別感情をも生みかねない、
両刃の剣的な非常に危険な思想だと言えます。

スピリチュアル系の人たちが同様の主張をするのも、単にそれら既存宗教の思想の影響を受けているか、
もしくは受け売りしているだけでしょう。

スピリチュアル思想に傾倒している人たちは、平気で「魂の階層」や「ソウルグループ」という言葉を使ったり、
「現世の試練に耐えることで『魂の位』が上がる」などと言ったりします。
ソフトな語り口ですが、やっていることはランク付けであり、はっきりとした差別です。
そして根拠はありません。本人の思い込みという妄想が根拠です。検証不能です。

何を信じるかはもちろん個人の自由ですが、差別を肯定する論理に対してまで、
社会が寛容である必要があるかは疑問です。

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013 2022/12/28(水) 09:22:48 ID:wtiQsGU4gU
なお、現代の医学では、自殺者のほとんどが、うつ病や躁うつ病という「脳の病気」に罹患しており、
それに伴う「希死念慮」+「自殺衝動」(非常に強力な衝動であり、理性や精神力で抗うのはほぼ不可能)
という「症状」によって脳をコントロールされた結果、本人の真意に反して自殺行動を取ってしまうことが
明らかになっています。

たとえば、肺炎になると高熱が出るのも、意思の力ではコントロールできません。
そして、肺炎で死亡するケースもありますが、同じように、うつ病になると脳がエラーを起こし、
その結果、自殺という形で死に至ることもあるというだけの話なのです。

自殺というのは、実質的には「病死」なのです。

うつ病さえ寛解すれば、「希死念慮」や「自殺衝動」は嘘のように消え去り、
本人ですら「あの時は、どうしてあんなに死にたかったのか、自分分でも理解できない」、
「あの時、死ななくて本当に良かった」等と述懐します。

しかし、人々にそのような知識がなかった時代には、自殺者は、「弱い人間」、「落伍者」、
「苦しみから逃げた卑怯者」、「遺される人の悲しみを考えない、身勝手で無責任な者」などと
誤解されていたのでしょう(現代でもそのような偏見が少なからず残っているくらいですから)。

そういう、昭和の「精神主義」や「根性論」を彷彿させるような誤った認識のままでは、
自殺を防ぐことも、自死遺族の悲痛を和らげることもできません。

大昔に作られた宗教が説くお伽話を鵜呑みにせず、知識をアップデートする必要があります。

現代においては、うつ病という「脳の病気」に関する正しい知識を持つことによって、
自分や周囲の人々の自殺を、もっと確実に防ぐことが可能なのです。

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014 2022/12/28(水) 09:25:33 ID:wtiQsGU4gU
●瀬川正仁 著『自死 現場から見える日本の風景』(晶文社 2016年)より

実は、カトリックの聖職者の中には、うつ病になり、自ら命を絶つ人も少なくない。

神父にうつ病が多発している背景はいくつかの理由が考えられる。

まず、神父になろうという人には真面目で正義感の強い人が多い。
そのため罪の告白や悩み相談をうけたとき、それをまともに背負ってしまい大きなストレスを抱え込んでしまう。
また、世俗の欲望を否定するストイックな生活を続けることによるストレスも小さくない。

こうした要因が重なって、心の病に陥る神父が思いのほか多いという。

太田義信神父(64)がうつ病と診断されたのは30代のときだった。
これといったきっかけは思い当たらないという。
病気は突然発症し、長い間、強い自死願望と戦い続けてきた。

実は、太田神父も自分がうつ病になるまで、「自死は罪である」というカトリック教会の教えを何の疑いもなく信じてきた。
ところが病気になった途端、突然に触手のようなものが伸びてきて、強い力で死の世界に引き込まれるような体験を何度も味わったという。

こうした苦しみと闘ううち、「自死」は信仰とは別の問題、善悪で裁くべき問題ではないと感じるようになった。

「自死したいという気持ちが強かったころは、駅で電車を待っている時間がとにかく大変でした。
通過する急行電車に飛び込んでしまうのではないかという不安から、いつもセミのように駅舎の柱にしがみついていました」

それから、こう続けた。

「私の場合、自死が罪である、つまり、宗教的に許されない行為だと教え込まれてきたおかげで、
かろうじてこちら側の世界に踏みとどまれたのかもしれません。
そういう意味では、自死を罪であるとするカトリックの教えには感謝しています。
しかし、自死によって命を落としてしまった人を罪人であると決めつける考え方は、受け入れられなくなりました」

いまでも、カトリックの世界には「自死」は罪であるという考えが根強い。
しかし、近年、教会内部でも自死者に対する名誉回復の動きが進んでいる。

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015 2022/12/28(水) 09:28:56 ID:wtiQsGU4gU
一方、差別的な戒名などによって、長年「自死」を差別してきた日本の仏教界も、日本社会における自死者の急増を受け、
これまでの「自死」に対する向き合い方を見直そうという動きが広まっている。

宮城県にある慈恩寺の住職、樋口法生さん(46)は、子どもを亡くした親の分かち合いの会「つむぎの会」を定期的に開催している。

実は信徒の中にも、「自死」だけでなく、不慮の事故で亡くなった人は往生できないのではないかという不安をもつ人がおり、
そうした不安を取り除くためにはじめた法要だ。
死に方や動機に関係なく、死者の魂はすべて極楽浄土に行けることを伝えることで、遺族の苦しみを軽減するのが目的である。

樋口住職が所属する浄土宗には死者を死に方によって差別する考えはない。
そのため樋口さん自身も、「自死」を差別する気持ちはなかった。

それでも僧侶になりたてのころは、自死遺族の悲しむ姿を見ていると、
「なぜ、まわりの人の気持ちを考えなかったのだろうか」と、
自死者を非難したくなる気持ちを持ったこともあったという。

だが、多くの自死者の葬儀をおこなううち、「自死」が世間でいわれているような「身勝手な死」なのではなく、
追いつめられた果ての死であることに気づくようになった。
そして、自戒の念もこめて、自死差別によって遺族が苦しまないための活動もはじめたという。

「仏教思想の中に自死を差別する考えはありません。ただ、『自死」を自分で自分を殺める行為と解釈し、
殺生を禁じる仏教の教えに反すると考える僧侶が少なくないのも事実だと思います」

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