一方、差別的な戒名などによって、長年「自死」を差別してきた日本の仏教界も、日本社会における自死者の急増を受け、
これまでの「自死」に対する向き合い方を見直そうという動きが広まっている。
宮城県にある慈恩寺の住職、樋口法生さん(46)は、子どもを亡くした親の分かち合いの会「つむぎの会」を定期的に開催している。
実は信徒の中にも、「自死」だけでなく、不慮の事故で亡くなった人は往生できないのではないかという不安をもつ人がおり、
そうした不安を取り除くためにはじめた法要だ。
死に方や動機に関係なく、死者の魂はすべて極楽浄土に行けることを伝えることで、遺族の苦しみを軽減するのが目的である。
樋口住職が所属する浄土宗には死者を死に方によって差別する考えはない。
そのため樋口さん自身も、「自死」を差別する気持ちはなかった。
それでも僧侶になりたてのころは、自死遺族の悲しむ姿を見ていると、
「なぜ、まわりの人の気持ちを考えなかったのだろうか」と、
自死者を非難したくなる気持ちを持ったこともあったという。
だが、多くの自死者の葬儀をおこなううち、「自死」が世間でいわれているような「身勝手な死」なのではなく、
追いつめられた果ての死であることに気づくようになった。
そして、自戒の念もこめて、自死差別によって遺族が苦しまないための活動もはじめたという。
「仏教思想の中に自死を差別する考えはありません。ただ、『自死」を自分で自分を殺める行為と解釈し、
殺生を禁じる仏教の教えに反すると考える僧侶が少なくないのも事実だと思います」
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