ここはどこ?
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002 2024/07/10(水) 08:46:18 ID:5CcW.Mvw72
通称「乞食谷戸」と呼ばれたころのこの地域に関しての資料をいくつか入手した。
まずは 1903(明治36)年に出版された、横浜の風俗や習慣を記した民俗学の本『横濱繁盛記』には次のように書かれている。
「南太田町の久保山のふもとあたりに数十棟の板葺の長屋が立ち並び、ここを乞食谷戸と呼んでいた。
始まりは 1881(明治14)年、横浜に浮浪してきた、菅原虎吉(すがわら・とらきち)という者が紙くず拾いをはじめ、
この山腹に住むようになった。そして同じ考えの人たちが集まり、人口が500人以上になった。
それぞれの長屋の坪数などは、3畳から6畳くらいまでと不規則だが、十数件の長屋を持ち貸している、
一ノ瀬栄吉や園田作蔵などの家主は、2間くらいの家に住んでいる」
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