あの頃はお祭りが待ち遠しかった


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001 2016/10/23(日) 12:34:03 ID:DJOIUZbJXQ
子供のころは、指折り数えて待ったお祭り。
くじ引き、ジャンクフード、怪しげな露店・・・
にぎわう歩道、威勢のいい呼び込みの声、夜店の匂い・・・
何もかもが楽しくて、帰宅時間を忘れて遊んだ。
けれど、中学、高校と年を重ねるにつれ、足が遠のいた。
久しぶりに行ったら、店の数が激減してた・・・

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002 2016/10/23(日) 13:02:49 ID:5fLLglZeYc
ワシとこのお祭りは
40〜50年前から的屋を排除して
スーパーや個人店とか自治会が道具を揃えて出店しているがね
よそのお祭りへ行く時は
的屋が出店していないと寂しさを感じる・・・
自分は安全・安心なところにいて
外に刺激を求める風潮に似ていると思われるかもしれんが
まあ
なんだあね(^。^;)

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003 2016/10/23(日) 17:04:55 ID:GHo8C.CZos
くじ引きの特賞、一等賞、二等賞はなぜか祭りの最終日まで当たらないのな。

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004 2016/10/23(日) 18:13:44 ID:MbsZ/Qi8x.
中学3年ぐらいからかな。行かなくなったのは。
「ガキくせぇ」「だせぇ」なんていって「いかねーよ」って空威張りして。
ホントは気になるくせにね。でもバッタリ会ったらカッコ悪いから行かないで。
今考えればまさに中二病。

大好きだったハッカ砂糖(ハッカパイプ)

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005 2016/10/23(日) 23:58:31 ID:r6.HGXEuhc
あの頃は なにもなくてそれだって 楽しくやったよ・・・

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006 2016/10/24(月) 19:57:45 ID:dcqK2WplzQ
本八幡の葛飾八幡宮の農具市。通称、ぼろ市。

子供のころ、このぼろ市が何よりも楽しみだった。
神社内を2周ぐらいして、意を決して三角くじに挑戦するも
ヘンテコなキーホルダーだけしか当たらないようになっている。
一等の電車のおもちゃはなぜかボロボロ。
チビだった自分にはわからない大人の世界。

先日永眠した母に頼んで、仮面ライダーのお面買ってもらったっけ。
金魚すくいや、延びる飴(名前忘れた)、焼きそば、謎の黄色い粉。
いろいろ買ってもらった。

今になってお礼したくとも、母はもういない。

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007 2016/10/24(月) 20:58:56 ID:YT5fGUYTIE
[YouTubeで再生]
大好きだったイカ焼き。
口の周りや手がタレでベタベタなりながら、
町を練り歩きながら食う!美味かった。

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008 2016/10/25(火) 17:18:51 ID:2YZmt/VR..
祭り自体の思い出というより、屋台を中心とした祭りの思い出。

中学に入ってから行かなくなったな。
小学生の頃までは、学校終わりに遊びに行く延長で、友達と連れ立って祭りに行ってた。 
祭り用に特別に貰った小遣い銭握りしめて、駄菓子屋での使い方とは違った緊張感や計算をしてね。
親も年に数日しかない祭りだからということで、1日千円くらいくれた。
もう嬉しくてね。想像できるんだ。「アレ買って、コレ食って。」って。

美味いものではないんだけど、祭りでしか買えないものということで風情を感じていた。
友達と一緒に祭りの雰囲気の中で食うと美味く感じるんだ。
太鼓や笛のBGMに、お好み焼きやフランクの油臭いにおい、すももの酸っぱいにおいと共にね。
テキ屋に騙されて、大人の汚い部分を学んだりもした。
場所によって屋台の数や種類も変わるから、それも楽しんでた。
まさに、友達と共に祭りの雰囲気に酔い、金を出して楽しむといった典型だった。

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009 2016/10/25(火) 17:21:15 ID:2YZmt/VR..
でも、中学に入って、塾や部活で忙しくなると行く暇が無くなった。友達も同じ。
成長するにつれて金の使い道が増えたり、金に対してシビアになる分、祭りに割く費用は減る。
祭り以外で買い食いは行ってても、費用対効果を考えたら安くない食い物は買わなくなった。
色気づいたガキがスーパーボールすくいや金魚すくいをやるわけもないしね。
一緒に行ってた友達も、中学・高校と、それぞれの進路(進む学校別に地域が違うし、新たな友達もできる)に進み疎遠に。
自分に新たにできた友達の住まいは、俺の実家から離れた場所にあるから、地元にわざわざ呼ぶわけにもいかない。

そのうち、屋台の売り物の値段が呆れるほど高くなった。
高くなった理由は色々あるんだろうけど、お好み焼きは最低で500円からだし、他の食い物も高くなった。
お面(買わないけど)が800円って何の冗談かと思った。幾ら物価が上がったとはいえ、ありえないと思った。
ちょっと買い食いしたら、外食でそこそこ良い定食が食える価格。
小学生の頃の感覚で今の自分が飲み食いしたら、ヘタすりゃ高級店のランチぐらい食える価格になる。
昔だったら一番高いものでも300円。殆どが100円。
同じ千円でも、何か2つぐらいに金を出したら、もうそれ以上は買えない価格。

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010 2016/10/25(火) 17:26:02 ID:2YZmt/VR..
だから、祭りはもう、大人向けのものだと思うようにしたよ。
商品は子供向けの物も依然として多いけど、子供じゃ手を出しにくい。
親や祖父母が子供を祭りに連れて行って、ねだられて買うものだと思う。
俺と同じで「こんなに高くなったの!?」って驚く人も多いと思う。

なんというか、祭りの雰囲気に酔うことなく、「この価格だったら他(ちゃんとした店)で、別の使い方をして・・・」と、
自然に考えるようになったら、もう屋台は楽しめないじゃないかな。
寂しいことだけどね。

成長するにつれて行動範囲が広がると、神社の縁日でも屋台をみかけるようになるから、
年に数日しかない地元にくる屋台が特別なものだとも思わなくなる。

今でも笛や太鼓のBGMや、山車のかけ声を耳にする度に、一瞬ワクワクして懐かしさも覚えるけど、
行ったら現実を自覚しちゃうから行く気にもなれず、そのうちいつの間にか終わってるというのが、
ここ20年近くの祭りの期間の過ごし方になってるよ。

地方だったらまた違った楽しみがあるのかもしれないけど、
東京の典型的な住宅地住まいの自分の思い出としては、こんな感じ。

暗い話を長々とごめんね。

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011 2016/10/25(火) 17:36:16 ID:2YZmt/VR..
あとちょっとだけ。

ハッカパイプは自分も買ったな。
でも、甘い物好きでいつまでも咥えているから、ヨダレと(気化した)吐息で中がベタベタになって、
結構早くに使い物にならなくなっちゃうんだ。

水あめ関係(名称忘れた)では、氷の塊にくぼみをつけて、そのうえに置いてあるのが美味そうに見えて、
ついつい何度も通ってしまった。
最高3本まで当たるルーレットの当たりくじ付きで、自分は2本まで当てた。
ルーレットは電気式(ちゃちい)のもあれば、手回しのアナログ式もあった。

型抜きは、プレイ場所がとれる場所しか出店してなかったな。
自分は苦手で、合ってないと悟ったわ。

お決まりの屋台以外に、見た事無い屋台が出てたりすると、現場の子供達の中で話題になった。
買いに行くのは冒険みたいな緊張感があった。

お祭りが日常と違うのは、日頃の駄菓子屋通いと違って、クラスの女の子がいること。
それだけでも非日常性を感じた。

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012 2016/10/25(火) 19:49:12 ID:gg7mdqSIss
子供のころ、仲間内で「ガムほり」っていってたくじ引きみたいなのをよくやった。
板ガムのような形の固い飴?を、車とか動物の形に彫っていくやつ。
成功したらお金がもらえるっていう店。知らない?

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