パキスタン
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001 2013/12/29(日) 07:43:55 ID:Ti4dIsO7pw
パキスタンは、南アジアの国家で、イギリス連邦加盟国である。
首都はイスラマバード。
連邦共和制。
4つの州と連邦首都イスラマバード及び連邦直轄地から成る連邦国家。
インドとの対立関係もあり、伝統的に軍部の力が強い。対照的に政党の力は弱い。
独立以来クーデターが繰り返され、政局は常に不安定である。
地方においては部族制社会の伝統が根強く、特に連邦直轄部族地域にその傾向が著しい。
また、南西部のバローチスターン州ではイギリス植民地時代からの独立運動が根強い。
パキスタン憲法は、連邦直轄部族地域では大統領が指示しない限り、
パキスタンの法律が適用されない旨規定しており、部族地域は強い自治権を有している。
法律に代わるものとしてパシュトゥン・ワリというパシュトゥン民族の慣習法が適用されている。
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002 2013/12/29(日) 09:15:16 ID:OP3qoEj19s
003 2014/01/28(火) 20:00:18 ID:/MzihxuMVU
外務省の契約で現地に派遣されてる友人
は、ホテルがテロの対象になるから民間人
の自宅にステイしてるんだと。
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004 2014/08/13(水) 06:59:08 ID:upUqhdR9cY
005 2014/08/27(水) 13:28:47 ID:2AFTt/ur0o
006 2014/10/17(金) 20:19:31 ID:rGWr4vg02s
パキスタン航空はサリーではなく
パンジャビ・ドレスをイメージして作られているのが分かる。
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007 2015/02/11(水) 07:12:39 ID:e00Anv.aBk
008 2015/02/12(木) 01:49:56 ID:mQL9XFH4TY
009 2015/02/12(木) 15:07:02 ID:CXy4yFyJrA
布製品の工場がたくさんあって手縫いサッカーボールの7割がパキスタン製だとか。
治安が良ければもっと発展するだろうにもったいないね。
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010 2015/04/14(火) 17:51:13 ID:JqNph5i3Ws
有志連合が考えている方策は三つ。いずれにせよ、長期化は避けられないが。
①クルド人、特に勇猛果敢で知られる「ペシュメルガ」(イラク北部クルド人自治区の治安部隊)に最新の武器を与える。
クルド人は早速、1月27日に「イスラム国」からアインアルアラブ(シリア北部の要衝)を取り戻すなど、一定の効果が出ている。
②イラク政府軍をもう一度鍛え直す。
③「自由シリア軍」(シリアの反政府勢力のうち穏健派)に軍事訓練を施す。
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011 2015/06/06(土) 09:05:01 ID:LcUvUZ0AMQ
経済活性化への期待から総選挙で地滑り的圧勝を収めてインド新首相に就任したモディ氏が率いるインド人民党(BJP)は、排外的なヒンドゥー至上主義を掲げているます。
カシミールなどの領土問題、ムンバイ同時テロなどの越境テロ問題を抱えるイスラム国家である隣国キスタンとの関係は、安全保障上だけでなく、経済政策を円滑に進めるうえでも重要であり、首相就任式にパキスタン首相を招待することで、まずは友好的な雰囲気を醸成しようと試みています。
両国の独立以降、首脳が相手国の首相就任宣誓式に出席するのは初めて、これをきっかけとして和解が進むことも期待されます。
パキスタン外交筋によると、モディ氏の当選後に電話で祝意を伝えたのは、各国首脳の中でもパキスタンが2番目に早かったそうです。
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012 2015/07/18(土) 12:57:40 ID:urNJ/9zUXE
013 2015/11/21(土) 17:21:11 ID:RxPgGU5De6
014 2016/03/13(日) 12:39:08 ID:Gq/QqkgTys
015 2016/07/16(土) 08:35:49 ID:4jHCcvet5s
今月1日、バングラデシュの首都ダッカで、若者の武装集団による大規模なテロ事件が発生した。
日本人7人を含む外国人ら20人の人質が殺害されたことで、日本でも大きく報道された。
その動揺も収まらない3日、在パキスタンのバングラデシュ高等弁務官事務所がこんな発表をした。
パキスタン政府に対し、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相の顧問を務めるゴウェル・リズビ氏が
「インドメディアによる報道は完全な『ナンセンス』である」と強調したという書面を送付したというのだ。
このインドメディアの報道とは、インドのテレビ局がリズビの発言を引用した記事のことだ。
その内容は、「リズビが、カフェへの攻撃の背後にパキスタンのISIが存在すると非難した」というもの。
つまり、首相の側近がパキスタンのISI(軍統合情報局=パキスタンで政府以上に権力をもつと言われる諜報機関)がテロに関与していると述べたというのだ。
だがリズビはそんなコメントはしていないと主張し、「大至急」パキスタンに弁明の書面を渡すようバングラデシュ高等弁務官に指示した。
メディアとリズビの間にどんな齟齬があったのかは明らかにされていないが、いずれにせよ穏やかではない。
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016 2016/11/03(木) 08:48:42 ID:FhQf76P9OU
017 2017/03/27(月) 17:13:14 ID:4UG1kyjNFc
018 2017/07/29(土) 10:46:02 ID:h1SQ9ppD.o
019 2018/01/29(月) 14:20:03 ID:Jv6YIWIKvQ
020 2018/03/28(水) 20:15:19 ID:Ljx8FQ4IbQ
021 2018/06/15(金) 18:57:10 ID:5pgpjnOfv.
022 2019/03/02(土) 09:08:38 ID:BhcENcw3E.
[スリナガル 27日] - イスラム教徒が住民の多数を占め、ヒマラヤ山脈を望むカシミール地方は、
1947年にイギリス領だったインドとパキスタンが分離独立を果たして以降、両国が領有権を争う対立の舞台となってきた。
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023 2019/12/24(火) 07:35:05 ID:8rH5cJ5./Q
024 2021/07/18(日) 07:13:28 ID:VRkHt8ZXLg
025 2021/07/18(日) 13:07:50 ID:pq6ngwXhK6
026 2021/09/27(月) 09:10:29 ID:yY75z7ZPC6
027 2022/06/07(火) 07:54:58 ID:gXk2xRx..E
028 2023/06/25(日) 12:13:57 ID:Exym09oFbE
029 2023/11/28(火) 07:22:35 ID:P4.W4N2q1.
032 2023/12/07(木) 04:00:42 ID:hegm6DuD/Y
国名「パキスタン」のپاک(パーク)はウルドゥー語とペルシア語で「清浄な」を意味する
南西にイラン、西にアフガニスタン、北東に中華人民共和国、東にインドと国境を接している。
北はアフガニスタンのワハーン回廊でタジキスタンと狭く隔てられており、オマーンとも海上で国境を接している。
西にスレイマン山脈、北部にヒンズークシ山脈、カラコルム山脈が連なり
その高地からインダス川が流れアラビア海にそそぐ
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033 2023/12/07(木) 04:18:58 ID:hegm6DuD/Y
インダス文明
紀元前2500年頃から1500年頃まで、モヘンジョ=ダロ、ハラッパーなどに彩文土器、金属器、印章などの遺跡を伴う高度な都市文明が生まれた。
その都市文明の特徴は、街路が整然と東西南北に並ぶ都市計画。家屋は焼煉瓦造りで、下水・井戸・浴場などの衛生施設を持つ。公共的な建造物と思われる沐浴場(宗教的施設)、学校、公会堂、倉庫などを持つ。インダス川を利用した潅漑農業と、水牛、羊、象などの家畜の使用。彩文土器の使用。青銅器の使用(鉄器は知られていない)。印章の出土。印章には象形文字(インダス文字)が描かれているが、未解読。シュメール人のメソポタミア文明との共通性がみられる、など。前1800年頃からインダスの都市文明は衰退期に入ったと考えられており、原因についてはまだ定説はない。
インダス文明以前の農耕文化
前7000年頃にさかのぼる農耕文化がバローチスターン丘陵地帯で存在していることが明らかになってきた。メヘルガル遺跡を中心に、小麦・大麦の栽培、羊・山羊・牛の飼育を行っていたことがわかっている。前3000年初頭にインダス川流域の肥沃な平野が開発され、大集落が形成された。その一つのハラッパーはやがて都市に発展し、初期インダス文明の形成となった。
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034 2023/12/07(木) 05:00:48 ID:hegm6DuD/Y
>>33 ドーラヴィーラー 紀元前2900年頃。1990年代に完璧な姿で発掘されたインダス文明の巨大都市遺跡。大量の石材を用いて頑丈な外壁と内壁で囲まれており、集水溝・貯水槽といった水利施設が完備されていたが紀元前2100年ごろから徐々に衰退に向かっていく。インダス川から300kmほど離れそこから河水をひいた形成はないことにが一石を投じた。
ガッガル・ハークラー川 モンスーン期にのみ流れる季節河川で末端はタール砂漠で終わる内陸河川である。現在は涸れ河だが、古代にはインダス川と並行して海に向かって流れていたインド有数の大河だったとされる。紀元前2000年ごろの地殻変動で土地が隆起し、インダス川の流路が変わるとともに、ガッガル・ハークラー川が干上がり涸れた川となったと考えられている。このことによってインダス文明の水上交通網が寸断され、たび重なるインダス川の洪水と塩害によって耕地が荒れてしまい、インダス文明滅亡の主因となったと考えられている。
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035 2023/12/09(土) 16:18:43 ID:HXXzCBUfwc
036 2023/12/09(土) 16:33:54 ID:HXXzCBUfwc
ヴェーダ時代 前1500年から前500年ごろ
アーリヤ人の自然崇拝の伝承を集約した聖典をヴェーダ(「聖なる知識」の意味)といい、それが作られていた時代(前1500年から前500年頃まで)
アーリヤ人がガンジス川の農耕地帯を征服していく過程で、いわゆるカースト制度がうまれと考えられている。アーリヤ人の社会では自然崇拝が行われその司祭者であるバラモンが最上位に置かれ、武人階級であるクシャトリヤとともに支配階級となり、その下にヴァイシャ(本来は農耕牧畜民。次第に商人層を指すようになる)とシュードラ(始めは隷属民の意味であったが次第に農耕牧畜民などの生産者を指すようになる)という四つのヴァルナからなる身分制度が出来上がった。さらに後には四つの種姓の枠の外におかれる不可触民(パーリヤ)といわれる差別される人びともでてきた。
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037 2023/12/09(土) 17:14:56 ID:HXXzCBUfwc
十六大国
紀元前6世紀頃から紀元前5世紀頃にかけて古代の北インドに形成され相互に争っていた諸国の総称。仏典やジャイナ教の聖典によって記録されている。
ガンジス川中流域にコーサラ国、下流域にマガダ国などの都市国家が生まれ、その中でカースト制度に批判的な新しい宗教、仏教とジャイナ教などが起こった。
コーサラ国は最初に有力になった国で都はネパールに近いシュラーヴァスティー(舎衛城)その東のマガダ国と対抗していた。コーサラ国は領土を拡大して当時の商工業の中心地であったベナレスを征服して強大となった。さらにシャーキヤ族(ガウタマ=シッダールタ(ブッダ/釈迦)は シャーキヤ族の小国カピラ王国の王子として生まれたクシャトリヤ階級)など周辺の共和制都市国家も支配下にいれた。しかし前4世紀に東方のマガダ国によって征服され衰えた。
都市国家から統一国家の形成期になるとカースト的な社会は統一的支配の障害になる面があり、仏教が統一国家の理念として保護されるようになったが、民衆生活の中ではカースト制は生き続けた。仏教は12世紀ごろまでにインドでは消滅するが、ジャイナ教は庶民(ヴァイシャ)の中に支持され、インド外には広がらなかったが、今日まで国内で存続し続けている。
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038 2023/12/09(土) 17:30:03 ID:HXXzCBUfwc
マウリヤ朝
西方からインダス川流域まで到達したアレクサンドロス大王
https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1531005573/02... のインド侵入に刺激されて、北インドの都市国家に統一の状況が生まれ、前4世紀末前317年にチャンドラグプタがマガダ国のナンダ朝を倒してマウリヤ朝を建て、北西インドに進出しはじめてインドを統一、都をパータリプトラにおいた。
アショーカ王の時代 前3世紀のマウリヤ朝第3代のアショーカ王は仏教を篤く信仰し仏法(ダルマ)による政治を志し仏典結集などの事業を行った。それによって仏教はインド社会に広く受け入れられた。現在でも各地にこの時つくられた石柱碑、ストゥーパが残されている。
アショーカ王の没後はマウリヤ朝は急速に衰え、その後インドは前2世紀~紀元後3世紀ごろまで、小国が興亡するという長い分裂の時期となった。
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039 2023/12/09(土) 17:44:30 ID:HXXzCBUfwc
まずギリシア系のバクトリアが北西インドに進出し、その王メナンドロスのころ一時栄え、インドにヘレニズムを及ぼしガンダーラ美術が生まれた
インド・グリーク朝のメナンドロス1世はガンダーラの最も有名な王である。仏教徒となった彼は『ミリンダ王の問い』として仏典に描かれ、多くの仏教徒によく知られる存在となった。紀元前140年頃にはメナンドロス王は死にインド・グリーク朝の分裂が始まった。
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-121.htm... 次いでスキタイ系のサカ族が北インドを支配した後、バクトリア地方を支配していた大月氏国から後1世紀頃に興ったクシャーナ朝がインドに進出してきた。
同じく、パルティア系民族により圧迫され、イラン高原からサカ族がガンダーラ地方へ移住した(インド・スキタイ王国)
ただし、その支配は南インドに及ぶことはなかったのでインド全土を統一したとは言えない。
南インドにはサータヴァーハナ朝がインド洋交易で栄えていた。
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040 2023/12/09(土) 17:56:48 ID:HXXzCBUfwc
クシャーナ朝
紀元1世紀中頃に、中央アジアの東西交易路を抑えたイラン系のクシャーン人が力を付け、北西インドにその支配を及ぼしてクシャーナ朝が成立した。そのカニシカ王も仏教はあつく保護したが、この時期の仏教はすでに草創期の仏教と大きく変わり、いわゆる大乗仏教が主流となっていた。これは出家者が自己の救済にとどまらず、広く大衆を救済しようという菩薩信仰によるもので、ナーガールジュナ(竜樹)によってその理論が大成された。大乗仏教はパミールを越えて西域から中国、さらに朝鮮や日本に広がり、北伝仏教とも言われる。それに対して従来の部派仏教のなかで権威のあった上座部仏教は小乗仏教と言われるようになりスリランカから東南アジアに広がっていった。2世紀ごろ全盛期となり都プルシャプラ近郊にはヘレニズムの影響が及び、ガンダーラ様式といわれる多くの仏像彫刻が造られた。陸路ではローマ帝国とも盛んに交易を行っていたが、同じ時期に南インドではサータヴァーハナ朝がインド洋交易圏での海上交易で繁栄していた。サータヴァーハナ朝もローマと盛んに交易を来なったことは、大量のローマ金貨が発見されていることから裏付けられている。
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