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001 2019/08/03(土) 22:59:57 ID:7K1px9AxFU
023 2025/01/09(木) 04:28:55 ID:lss48PpKzM
>>22 ジャヤーヴァルマン7世が死去して激しい後継者争いが行われた結果、クメール王国は弱体化し、1238年にスコータイ王国、1259年にラーンナー王国が独立した。1283年にクビライのモンゴル帝国が侵攻。ジャヤーヴァルマン8世は、1285年と1292年に元朝に朝貢した。宗教的には、13世紀に上座部仏教がインドシナを掌握するまで、ヒンドゥー教や大乗仏教の混じった宗教が信仰されていた。クメール王朝は寺院建築で莫大な国費を費やした上、宗教をめぐる政争で次第に国力が衰えていった。クメール王朝では、王は即位すると新たな寺院を作るものとされていたことから、アンコール・ワットの周囲には千以上にもおよぶ遺跡が残っている。ヒンドゥー教徒のジャヤーヴァルマン8世の治世に廃仏事件が起こり、ヒンドゥー教に由来する題材に彫り直された。1295年に仏教徒のインドラヴァルマン3世(英語版)が8世を殺害し、王位に就いた。
1351年にアユタヤ王朝が近隣のタイで建国された。1353年、アンコール・トムへ留学していたファー・グム(英語版)を支援し、ラーンサーン王国が建国された。1378年、スコータイ王国がアユタヤ王朝に征服された。14世紀後半からアユタヤ王朝が勃興し、アユタヤ王朝との戦いによって国力は疲弊。1431年、アユタヤ王朝が侵攻し、クメール帝国の首都アンコール・トムが陥落した。
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024 2025/01/09(木) 04:43:03 ID:lss48PpKzM
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1431年の首都陥落の後、当時の王はスレイ・サントーに首都を移転
しかし、長くは定着せず、プノンペン、ロンヴェク、ウドンと次々に遷都。シャム(当時のタイ)やベトナムからの攻撃を受け、国力は衰退の一途を辿っていきました。かつてクメール帝国が支配していた広大な領土も次々と削られていき、シャムとベトナムからの圧力が増していきます。国として独立を保つのも危うい状態が続きました
カンボジアの暗黒時代
アンコール後時代は中世とも呼ばれ、15世紀初頭からフランスによるカンボジア保護領の始まりである1863年までの歴史時代を指す。信頼できる史料(特に15世紀と16世紀)が非常に少ないため、クメール帝国の衰退を明示する具体的な出来事に関して、科学界が一致して認める正当かつ決定的な説明はこれまでのところ提示されていないが、現代の歴史家の多くは、宗教、王朝、行政、軍事、環境問題、生態系の不均衡など、いくつかの明確かつ緩やかな変化がインドシナの勢力交代と一致しており、解釈するにはこれらすべてを考慮する必要があるというコンセンサスに近づいています。
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025 2025/01/09(木) 04:49:05 ID:lss48PpKzM
026 2025/01/10(金) 00:05:22 ID:jF467iZ0e2
027 2025/02/06(木) 04:15:34 ID:.MeOylg4cc
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