メコン地域
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001 2019/08/03(土) 22:59:57 ID:7K1px9AxFU
036 2025/12/13(土) 23:43:40 ID:eOVT9mShdY
>>35 しかし21世紀になって、中国が米国に次ぐ超大国になると、華僑に対する態度を一変させた。現在のバンコクには中華街があり、そこには漢字で書かれた門も存在する。華僑の多くは経済的に成功し、タイの王族と姻戚関係を結ぶ例も少なくない。近年のタイ政局を語る上で欠かせない、黄色シャツと赤シャツの対立も、この華僑と王族の関係を踏まえると理解しやすい。タイ王室のカラーは黄色だが、もともと黄色は中国の皇帝のカラーでもある。中国の皇帝は黄色い衣服をまとった姿で描かれることが多い。黄色シャツ派はバンコク周辺に住む富裕層や支配階層を中心に構成され、対抗する北部や東北部の農民は赤をシンボルカラーとしている。赤は共産党のカラーに由来するのだろう。タクシンは王室を中心とした支配層と対立しているが、華僑の末裔であり中華系であることに変わりはない。タイは、華僑との混血が進んだ人々が、古くからタイに住んでいた人々を支配している国、と考えてよいと思う。
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037 2025/12/13(土) 23:50:52 ID:eOVT9mShdY

華僑を追放したベトナム
東南アジア大陸部においてタイと並ぶ大国であるベトナムでは、華僑が置かれた状況はタイと大きく異なる。現在ベトナムに住む華僑は少ない。それはベトナム戦争が終わった1975年に、ベトナム当局が華僑を追い出したからに他ならない。南ベトナム政府関係者やその協力者は小さな船に乗ってベトナムから逃れ、「ボートピープル」と呼ばれ、難破して命を落とした者も多く、その中に多くの華僑が含まれ、香港、マカオの難民収容所の7割はベトナム華人であった。ベトナム戦争当時、南ベトナムには約100万人の華僑が住んでいた。1975年当時のベトナム人口は4,500万人と現在の半分程度だったため、華僑の存在感は大きかった。サイゴンのショロン地区は華僑が多く住む地域として有名だったが、その90%が国外に脱出したとされる。戦争の混乱が収まると華僑は少しずつ戻ってきたものの、その存在感は東南アジア諸国の中では圧倒的に小さい。
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038 2025/12/13(土) 23:53:45 ID:eOVT9mShdY
039 2026/01/14(水) 04:30:44 ID:kDSQ3Owcgg

「ASEANウェイ」とは、協議を通じた全会一致方式、内政不干渉の原則、合意事項の非拘束性、組織の非制度化を特徴とする、東南アジア諸国連合(ASEAN)の意思決定や行動様式で、加盟国間の対立を避けつつ協調を目指す外交スタイル。
これが崩壊するとすれば大国と各々1対1で対峙せざるを得ないのでまずは分裂する事は無い
しかし仮に九段線が第2列島線並みに膨張した場合、「大陸対海洋」で分裂し、
その後の次の亀裂は、イスラム・マレー的価値観国家とそれ以外のシンガポールフィリピンが離反する形での分裂が想定され…
∴ハリマオは正しかった
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040 2026/07/12(日) 11:38:27 ID:laXsDfzWvQ

タイ人は何処から来たか
かつて(19世紀末〜20世紀半ば)は、「タイ族が大理国を建てたが、13世紀にモンゴル帝国(フビライ・ハン)に滅ぼされたため、圧迫されて一斉に南下し、現在のタイにスコータイ朝を建てた」というドラマチックな建国史が広く信じられており、タイの教科書にも載っていました。
最新の学説(考古学・言語学・遺伝子DNA研究)に基づくと広西チワン(壮)族とタイ人は、数千年前の祖先(百越系)を同じくする「最も血の濃い兄弟民族」であり、言語・生活文化・遺伝子のあらゆる面で驚くほど多くの共通点を持っています
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041 2026/07/12(日) 11:48:43 ID:laXsDfzWvQ
タイ人の祖先(タイ・カダイ語族)の真の故郷は、四川や大理国のような内陸部ではなく、中国南東部の沿岸地域(現在の広東省、広西チワン族自治区、ベトナム北部)
紀元前〜1世紀頃(広東・広西):現在の中国南東部(広東省、広西チワン族自治区、ベトナム北部)の沿岸部に、タイ族の祖先である稲作民族「百越」が定住していました。
1世紀〜7世紀(雲南・昆明):漢民族の南下(前漢の武帝による征服など)から逃れるため、内陸の雲南省(昆明や「滇」の周辺、シーサンパンナ)の盆地へと西に移動しました。
11世紀〜13世紀(メコン川流域):人口増加や新天地を求めて、雲南からメコン川やサルウィン川に沿って徐々に南下し、現在のタイ北部(チェンマイ周辺)、ラオス、ミャンマー北部(シャン州)へ流入しました。
南下してきたタイ族は、現在のタイ中部や東北部を支配していたクメール帝国(アンコール王朝、現在のカンボジア)の「傭兵」や「臣下」といった傘下に入りました。
13世紀に入ると、クメール帝国は巨大建築(アンコール・トムなど)の乱発による財政悪化や、水利システムの機能不全(干ばつと洪水)で急速に弱体化していきました。この隙を突いて、クメールの地方拠点(現在のタイ中部・チャオプラヤ川流域):さらに南の広大な平野部であるタイ中部(チャオプラヤ川流域)へと到達)にいたタイ族の首長たちが反旗を翻し、1238年にスコータイ王国を建国して独立を果たしました。
当時の超大国であったクメール帝国(アンコール王朝、現在のカンボジア)を激しく圧迫し、最終的に崩壊へと追い込みました。
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