京アニは、なぜ盗作防止策を打ち出さないのか?
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盗作防止の取組みを一切アナウンスせず、被害者ムーブに徹する京アニ側の対応。
強姦事件であれ、弁護人はおかしな理屈を連ねてでも被告人を庇おうとするものだが、その弁護人が盗作疑惑を一切究明しようとしないのも全く不可解である。
不都合な事実を明るみにするまいと、電通が政府ぐるみの隠蔽を図った可能性が考えられる。
青葉君が、「既得権益層の搾取構造と戦った第2の手塚治虫であっては困る」という風に洗脳誘導されている人間は、電通毒電波の精神奴隷に他ならない。

強姦事件であれ、弁護人はおかしな理屈を連ねてでも被告人を庇おうとするものだが、その弁護人が盗作疑惑を一切究明しようとしないのも全く不可解である。
不都合な事実を明るみにするまいと、電通が政府ぐるみの隠蔽を図った可能性が考えられる。
青葉君が、「既得権益層の搾取構造と戦った第2の手塚治虫であっては困る」という風に洗脳誘導されている人間は、電通毒電波の精神奴隷に他ならない。

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「体裁が放伐革命となることを避ける」というのは、
日本に限らず、昔から中国などでも一応は試みられて来たことで、
たとえば三国時代に魏が後漢を滅ぼして新たな帝国を名乗るに際しても、
一応は後漢の献帝が魏王の曹丕に帝位を禅譲するという体裁を採っていた。
しかしその後、魏も司馬氏の専横などによってあっという間に崩壊を余儀なくされ、
中原全土も五胡十六国時代のような、新たな乱世へと突入して行くこととなった。
うまく乱世を平らげて長期平和を招くことができた徳川幕府などと、
何が違っていたのかといえば、放伐革命としての体裁を避けよう
とすることが、単なる誤魔化し止まりであったという点である。

一般社会で偉人の振舞いとして認められるようなことがないのみならず、
ろくに生業も持たないがろくでなしの有様として卑しまれたりするのも、
別に近年に始まったことではなく、光圀公が感銘を受けた伯夷列伝も収録されている
「史記」の貨殖列伝などにも、2200年以上前の民間でもそういう風潮があったと記録されている。
この世に大利をもたらせるような偉人が、さような扱いを大衆から受けることがある
という世の常があった上で、なおのこと偉人たちがわが道を行く時にも必ずや、
人々を欺き続けるぐらいの覚悟がなければならぬ。
それは、何なら表立って仁政に取り組んだりするよりも困難なことだから、孔子も
「甯武子は国に道があるときは知者として活躍したが、ない時は愚者として振舞った。
前者はまだ真似しようがあるが、後者はそれすら難しいものである」(公冶長第五・二十一)
とまで言われたのである。
世俗主義である儒学の範疇だけでは、もはやそれが十分に務まらないものだから、
道家や仏門が超俗主義によってまで、さような振舞いの貫徹を助成して来たものである。
ただ、そこで信仰的に崇められる出家僧もまた、坊主に糞掃衣のような奴隷装束を真似た
格好をしたりと、世俗の範疇で羨望されるような体裁を帯びることまではやはり避けている。
衆愚が濁世の偉人を侮りやすいという法則自体は、超克できぬものであるがゆえに。
京アニをはじめとしたメディアにとってよほど不都合なんだろうな、事実が
京アニの工作員or狂信者は、
卑劣なネット工作を今すぐやめろ!
卑劣なネット工作を今すぐやめろ!

首陽山に引きこもり餓死したとされる、殷周の放伐革命などは、
別にそれも不義の革命として必ずしも批判されているようなものではなく、
史実として記録されているような紂王の暴虐が本当であったのなら、
それも致し方ないと思わされるような範囲のものではある。
しかし実際、それを消極的にでも歴史上から許容してしまったことが、
その後の中国大陸における春秋戦国時代のような乱世の呼び水となったのにも違いなく、
さような乱世を何百年も続けた挙句の、中国全土の民度の低下が著しかったために、
戦国時代終結時まで殷の遺臣が統治下においていた箕子朝鮮などのほうが、
並みの中原諸国よりも民度が高かったと「漢書」などにも記録されている。

消し去ったような連中などからすれば、伯夷叔斉の事績なども、
俺や否定派と大して変わらないぐらいの所業、かつ愚行などとして捉えられようが。
はるか後代の水戸光圀なども、その伝説に感銘を受けて、
若かりし頃の不行跡から足を洗ったという程度には、この日本においては、世を挙げて
末永く尊重されて来たものであるし、しかもそれは決して机上の空論止まりなこととしてでもない。
家康公が戦国の世を終わらせる最終決戦たる大坂の陣に際し、
自らの行いが豊臣への放伐革命になってしまうのではないかという恐れから、
当時最高峰の儒者ではあるものの、自らより40歳も年下である林羅山らに伺いを立てていた。
そこで、これは革命ではない、不穏分子を大坂城界隈に何万人も集めて、
「国家安康、君臣豊楽」を旗印にした徳川打倒を図っている者たちへの成敗を主目的としているのだ
という名分を取り付けることで、体裁が放伐革命となることの災厄を拭い去るに至った。
現代の日本人などから見ても、言いがかりか何かのように思えかねないような逸話ではあるが、
実践面から入念に伯夷叔斉の思いを汲まんとする意図があればこその前準備であり、それにより、
光圀公のような子孫たちもまた、道を踏み外して政権を危ぶませることを避けられるに至った。

この世に敵対関係というのは極めて付き物なものだし、
さらに愚民ともなると、不必要にさような事態を増やして行くことすらある。
たとえば、国家社会における官と民の関係などは、
徴税という制度を介しているが故に、利害相反のようにも思われやすい。
実際、官公の側が不必要なほどの重税を貪っての富裕に明け暮れたりするようなら、
それはもはや官の側が原因での、民との敵対関係となるわけだけれども、
あくまで最低限の税金を取り立てた上で、世の中の平和や繁栄を盛り立てて行くことに
官の側が専念するのであれば、官民というのは利害共同体となるものである。
されども、自分の利益しか考えられないような愚民ともなると、
ただ税金を取られるというだけで、公人という存在を即敵対者と見なしてしまう。
そこから財務省解体デモみたいな、国家崩壊でより大きな害悪を呼び込み兼ねない
ような真似にすら及んだりするし、ユダヤ教徒みたいに国家組織全体を敵視
するような反社会性をも時には帯びてしまったりする。
さすれば、もはや官公の側から何かに取り組もうなんていう人間は、愚民からは、
無条件にまず敵視からの憎悪の対象にしかならず、さような悪意をかいくぐってでも
仁政を志すような、鯉の滝登りも真っ青な芸当を試みなければならなくなる。

LAのダウンタウンかどこかで、黒人の大男がビルの屋上から、「静かなるドン」
の近藤静也みたいな東アジア系のマフィアのドンを狙撃しようとする。
しかしそのドンが小柄で機敏なうえに、狙撃手のほうは撃ってから少しして
着弾がスコープで確認できるほどの遠距離狙撃にもかかわらず立射とかいう、
ちょっとプロとは思い難いような真似での狙撃であったために失敗。
屋内に逃げ込もうとするドンを二段目で撃ち殺そうとするも、
その弾はたまたまそこに居合わせたらしい黒人の老年女性の頭に命中し死亡。
もはや標的が見えなくなったために、今度は狙撃者のほうが逃走を始める。
放棄すればそこから足が付きかねないからとて、全長1.5m近くあるような
長大な狙撃銃を隠し持つこともできずに携行しながらであるために、たいへん目立つ。
ビルを下る過程でも複数人の一般人らしき黒人男性に出くわし、数人を射殺。
ビル内にあるタイ語らしき看板を掲げた風俗店に逃げ込もうとするも、
あまりにも店内がせまっ苦しくて自らも動きづらく、長大な狙撃銃も
取り回しが利かなくなりそうだからといって逃げ込むのを諦める。

いざ脱出しようとすると、ネゴシエーターを名乗る白人の男女二人に遭遇。
どうやら本人の動きが監視カメラなどですべて筒抜けだったらしく、
ただ現時点までは黒人が黒人を殺しているだけなので警察も出張らない模様。
このまま白人やアジア人を殺さぬまま逃げるのなら見逃す旨を進言しに来たらしいが、
狙撃手は思わずその場で白人男性のほうのネゴシエーターを射殺してしまう。
白人女性のほうが「ああ、これであなたも助かる手がなくなりました」と嘆いて終わり。
ーー今のアメリカでは、黒人同士の犯罪には警官が出動しないとかいう話が
元手の夢のようだが、それにしても随分と話の筋立てが緻密な夢だったもんだ。
アジア人の小ささがアドバンテージに、黒人の大きさがディスアドバンテージに
なったりするのも、いかにもありそうなこと。そのせいでの鬱積なども色々あった上で、
黒人によるアジア人への暴行事件とかも、向こうではたまにあったりするんだろうな。

最低限の元手として三幸建設工業という土建屋を営んでいた程度には、
昭和のフィクサーと土建業は切っても切れないような仲にあり、
そこから衆愚の民意などとも隔絶した仁政の斡旋なども試みられて来た。
とはいえもちろん、土建業も綺麗事ばかりで済まされるような業界ではなく、
祖父なども用地買収や作業員徴集にかけての暴力団との小競り合いなどを繰り返していたもの。
なおかつ田中角栄による列島改造計画の始動以降は、土建関係の利権も過剰なほどに
膨れ上がり、特に公共事業にかけての多くの汚職、腐敗を繰り返して来たもの。
それによって築き上げられた、日本中のコンクリートやアスファルトの構造物もまた、
中国のEV量産によるCO2の大量排出と共に、史上最高気温を連発させる酷暑の原因になってたり。
土木事業は古来、士分の聖業ともされて来たものではあるが、その域を大きく逸脱するような
自然破壊の限りを尽くした開発によって、日本全国が疲弊の限りを尽くすことともなった。
そんな所業を元手としていたフィクサーなどが、次代の後継者などを自分たちで育て上げられなかった
のも必然なのであり、やはり「陰ながら」の限界というものがそこに垣間見られるのである。

能の安宅や歌舞伎の勧進帳に登場する義経・弁慶一行も、
史実では最終的に討ち取られて非業の最期を遂げたもの。
伯夷叔斉や屈原らの生涯が見るからにヒロイックで、その遺作とされる詩歌なども
秀逸を極めるものであるとはいえ、乱世に望みを果たせなかった悲劇の人々で
あるのには違いなく、その轍を踏むよりかは、彼らに代わって同格な望みを
果たして行くことのほうを本位とすべきなのであり、それは民衆を欺いてでも
仁政を実現しようとしていた近年の支配層などに対しても同じことが言えるのである。
今の世の中で表立ったりすれば、あっという間にネットリンチなどに遭って
失脚させられる危険も多かろうとて、それもまた乱世を極めているがゆえの、
人々の悪念の鬱積があってこその現象なのだから、さような惨状をなくして行く
ことにかけての尽力と共に、公明正大な為政などにも取り組んで行かねばならぬ。
それは当然、民間の大企業からの手回しなどではあり得ないし、
そんな支援を受けての金権政治などでもあり得ぬ。事実に即すれど、虚実混同なれど、
そういうものがリンチ級の非難を受けるのには相応の理由があるのだから、
まず非難を試みる側こそが純然たる悪玉扱いとなるように専念せねばならないし、
結局、それを実現できる立場こそは、最も公正な統治者としての立場ともなるのである。
CIAとその協力機関である電通がなにより恐れているのは、事の真相と思考盗聴技術の存在が発覚し、これまで行ってきた所業が白日の下に晒されることである。
そうであるならば、青葉が精神異常者でなくてはどうしても困るのであり、その為のネガティブ・キャンペーンに総力を挙げざるを得ないことが一目瞭然となるのである。
そうであるならば、青葉が精神異常者でなくてはどうしても困るのであり、その為のネガティブ・キャンペーンに総力を挙げざるを得ないことが一目瞭然となるのである。

大衆への欺きによってでも最善の手を打っておこうとするような者がいるが、
そこまで頭がよくない慶応閥の財界人や政治家あたりならそれすらなく、
ただひたすら虐民で私腹を肥やすことばかりに専らであるようなことすら屡々である。
旧皇族や徳川宗家ふくめ、封建時代からの由緒正しい血筋の人間までもがそこにいようとも、
上級だからといってお上として尊ばれることもなく、ただひたすら怨嗟の対象などに
されるだけとあらば、「毒食わば皿まで」で、さような振る舞いに終始することともなる。
明らかに日本という国を損ねて傾けるような結果を招いておきながら、
未だに虐民本位な政策ばかりを訴えている竹中平蔵なども、
「安倍暗殺 次」が検索トップになるほどの殺意を多くの人々から抱かれているにしろ、
じゃあそういう連中が竹中と同じような立場になれば、同じ轍を踏まないで済むのかといえば
決してそんなこともない。どうせ現時点でも薄情さでは五十歩百歩なのだし、そこに、
デフォで嫌われ通しなんて立場が加味されるようなら、立て板に水のように同じ過ちを繰り返すだろう。
それが、民間に溺れて無責任を謳歌しているような連中にとっての宿命。
好き勝手やりたい放題を好むようなら、その時点で好悪と結果の良し悪しは悉く相反し始める。
そういう立場なのだから、多少頭がよかったりしたところで決してそこから抜け出せることもない。

その殺伐さのあまりに自らも発狂してしまったのも似たようなことで、
それは老若男女、人種民族を問わず共通している現象でもある。
事実、大衆は愚民へと陥りがちな生き物であるとはいえ、
別に自分たちから好き好んでそんな醜態へと陥っているのでもない。
政治の劣悪さやカルト洗脳などによって、否応なくそこに陥れられて
いるような者が大多数であるのにも違いないのだから、むしろそこに
愚者なればこその哀れみをかけてやるのでもなければならない。
それが結局、世の支配者などにとっても、ニーチェのような末路に
自らが陥らないための自利の手立てともなる。なおかつそれはやはり、
自分たち自身が衆愚そのものであるような連中にまでは務まらぬことで
あるが故に、大衆たち自身に自浄などを期待していてもならぬ。

外患支配に右往左往させられ抜いて来たがための醜悪さを極めて来たものだが、
それと共に日本国民たちもまた、否応なく愚民化を来たしてきたもの。
なればこそ、大多数の国民には、衆愚化の自己責任などがないことも確か。
そもそも民主政なんてもの自体が、一部の富裕者の意向ばかりが優遇される
致命的な欠陥性を帯びているというのもあるが、それにも増して戦後日本などは、
米中韓のような外患勢力の意向のほうがさらに優遇されるというダメ押しもあったがゆえに、
衆愚化の責任を国民たちが自分たちで取らねばならないなんて余地はどこにもない。
そこにはただ、苛政にさいなまれ続けてきたことへの哀れみをかける選択肢のみがある一方で、
やはりその民衆たちがすでに、大変な愚民化を来たしてしまっていることにも変わりはなく、
故に当人たちの現状の意向などを尊重してやったからといって、招福が叶うなんてことも全くない。
特に、上にも書いたような「人にやさしくして来なかった人間は、自分にもやさしくできない」
という法則の渦中で溺れぬいているような者たちが大多数に上ってしまっている以上は、
そんな連中の意向を尊重してやればやるほど、世の中もより陰惨さを深めるのみであるからして、
哀れみをかけてやるべきであるにもかかわらず、耳を貸すべきではないという、
きわめて特殊な覚悟を以ての統治支配に臨んでやるのでなければならない。
電通/京アニの電波洗脳は、あまりに危険だ!

iPhoneみたいなドル箱は自己主張過剰な規格の塊と化し、
なんてことをやってたら自然と、IT全体が反射神経や
健康寿命を著しく損ねてかかるストレス源にもなってしまう。
モノづくりよりも金儲けのほうが格上扱いな連中にとっての宿命。
その他の分野、人文文化や運動スポーツなどにかけても、
同様な傾向が金儲け主義とあらば見られるようになり、
結局は健康被害と引き換えに金カネだけはシコタマ稼ぐとかいう、
切実に考えてもろくなもんではないと思わせるような事態に終始する。
別に古流の武芸や本物のヨガなどに傾倒せずとも、
年取ってからのゲーム程度でもそれを抑止することができるわけだが、
健康と引き換えに金カネを稼ぐという志向性に耽りきっている以上は、
それすら子供の趣味だなんだと難癖つけて嫌がったりすることにもなる。
自分たちが長年やって来たことが、良かれと思って晩年の地獄を招くような
過ちの積み重ねでしかなかったことに気付いてしまうことへの恐れもあり。
電通/京アニの電波洗脳は、日本を滅ぼすぞっ

特に著しい醜貌化として現出する、オナニーメンタル顔貌なども、
やはり本人たちが好き好んでなってたりするようなことは、ほとんどない。
眉間を力ませて真面目にものを考えることを怠りすぎると、後天的になってしまう
醜貌なのだけれども、今という時代なんて、その域の真面目さを総出で排し去ろうなどと
しているぐらいのものだし、特に今の若者世代あたりはもはや、生まれたころから
嫌でも植え付けられた不真面目さによって、そうならざるを得なかった者がほぼ全員である。
そこからある程度成長して、十分な自我を持ち合わせ始めてからは、
好き好んで不真面目であろうとするようなことも頻発し始めるものではあるが、
初めに毛筋ほどの誤りあれば、後々に千里の過ちの積み重ねとなるようなもので、
やはり物心つかぬ頃からの不真面目さの強制の結果であることを慮ってやらねばならぬ。
オナメン顔貌自体は、どうあっても好き好めるものではなく、
当人たちも前髪で隠したり、整形や化粧や加工でなんとか誤魔化そうとしたりするし、
あえてそういう顔貌のキャラを多数登場させたアニメ作品なども、史上最悪級の大爆死に
陥ったりするものであるが、それはやはり人間という生き物に生理的に植え付けられた
宿命的な嫌悪感であるのだから、そこを反ルッキズムで矯正しようとかいうのでもなく、
なるべくそういう顔貌がなくなって行くように世を仕向けて行くことのほうを志すべきである。

子供のうちだけやさしくされ通しである以上に可哀相なのが、
自分たち自身が人にやさしくする機会には恵まれない点でもある。
「人に厳しく、自分に甘く」をデフォとして強いられるような環境で育てられて、
それが当たり前だと思い込むオナニーメンタルを重篤化させ、以て、
ちょっとカッとなっただけで人を轢き殺したりするような短気さとなったり、
トクリュウなどにもただのバイト感覚で手を出す残忍さとなったりもする。
「どうせ世の中厳しいことだらけなんだから、子供のころから厳しさに
慣れさせるほうが子供のため」というイチローの意見も最もだが、
さりとて当人が未成年のころに体験していたような、団塊仕込みの
不合理極まるパワハラ教育などを復興させる目途も立ちはせぬ。
なんなら、あえて厳しい教育などを試みずとも、自分が人にやさしくする以上に、
人にやさしくすることを促す教育を充実させるだけでもいい。なぜなら、
それはもうそれだけでも十分に大変で厳しい取り組みとなるのに違いないから。
なおかつそれこそが合理性を帯びた厳しさへの順応手段ともなるであろう。
煉獄杏寿郎より熱い心を燃やした、青葉真司
なぜ彼の心は正義に燃えたのか?
それは社会不正を憎む魂が、怒りに震えたからである。
たった1人で乗り込み、74人を相手に無双するなど、ヤクザや格闘家でさえも不可能。
ガソリンタンクに込められていたのは、ガソリンではなく盗作を決して許さない正義の魂だったのである。
なぜ彼の心は正義に燃えたのか?
それは社会不正を憎む魂が、怒りに震えたからである。
たった1人で乗り込み、74人を相手に無双するなど、ヤクザや格闘家でさえも不可能。
ガソリンタンクに込められていたのは、ガソリンではなく盗作を決して許さない正義の魂だったのである。

というのも嘘八百であって、全体的にはむしろ景気が悪くなってるから、
ろくなイノベーションも生じず、電気自動車の乱造で地球温暖化加速、
生成AIでエロ画像量産なんていう程度のハッテンしか見られもしない。
企業というのは営利団体なのだから、せっかく金融緩和による株価高騰で得られた資本を、
さらなる儲けが見込まれるわけでもないような中下層への分配などに用いたりしようとも
しないというのは、まだ分かることだけれども。その資本を用いて世の中全体が潤うような
商工業系の活動を試みようとすらせず、昔の日本企業のような繁栄の礎になることもない。
それは、実質株価も上がらず、世間一般も物価高で疲弊なんていういいとこなしのが
実情であればこそ。営利活動の何もかもが砂漠に水を撒くような徒労にしかなり得ない
事態を共に呼び込んでいるために、もはや世の中の繁栄を自利と共に招くことも能わぬ。
株価高騰に与れるような大企業が、世間一般と利害相反の関係となることでの、
名目上の好景気の装いに過ぎぬために、それはただ実質景気の低迷を招き続けるのみとぞなる。

昭和の日本の経営者みたいなパワハラ野郎なのに、
まるで時代の寵児のように扱われているのか?
むしろ、にもかかわらず時代の潮流にうまく乗って、
世界一二の大金持ちとなった点が、金カネが金カネを産むことばかりが
本位と化してしまった大規模金融緩和の時代にそぐう存在だからである。
こいつが好みなオタク趣味なども、無職ニートな俺でも
嗜められるぐらいには安上がりで済む。なればこそ世間一般で
貧困層が爆増しているような時代に、世界的人気を得てもいるのであり、
そんなものが大金持ちにもかかわらず好きであり続けていることが、
本物のイノベーションはもはやそういう界隈にしかない証拠にもなっている。
当人が一番夢がある事業として取り組んでいる宇宙開発なども、
ガンダムの生みの親である富野が「地球の重力が強すぎて無理でしょ」
と本職の開発者たちの前で豪語して、誰も反論が出来なかったぐらいには、
儚い夢物語に終わることがとうに見え透いているものではあるが、
それでもそんな所に夢を見続ける所にしか、投資の余地もない。
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