失墜の巨星 
   1984年、ソ連軍部は次期制式アサルトライフルの選考試験に着手した。「アバカン」トライアルとも 
 呼ばれる一連の試験には、最終的に8つの銃器設計チームが試作品をエントリーした。 
 AKシリーズで確固たる地位を築いたIzhmash社からは2チームが参加、その一つはVictor Kalashnikov 
 -銃器史に燦然と輝く巨星Mikhail Kalashnikovの息子-が率いていた。   
 テストは91年のソ連崩壊後も継続され、最終的に同じIzhmash社の若き天才エンジニアGennadiy Nikonov 
 チームの銃ASMが選出された。94年に制式名称Avtomat Nikonova AN-94を与えられたこの銃は独創的で 
 精緻な機関部を持ち、高い命中精度と最大毎分1800発という驚異的な発射レート、二発バーストなど様々な 
 新機軸を備えた次世代ライフルであった。 
 特に2発バーストは「一つの弾痕しか作らない」とまで言われ、名実共に世界最高峰の性能を誇るアサルト 
 ライフルとして、ロシア歩兵戦術の転換-弾幕で包み込むAKから狙い撃つANへ-をも予感させる傑物であった。 
 それに比べればVictorの設計は余りにも保守的であった。動的な反動軽減機構など幾つかの新機軸を有する 
 ものの、全体的にはAK-74のバージョンアップに過ぎず落選は当然と思われた。   
 だがこの選定結果に激怒したのがMikhail Kalashnikovであった。47、74と続いたカラシニコフの名を次代に 
 継がせるため、彼は自身の絶大な名声とコネを武器にIzhmash社や軍部に選定見直しを働きかけた。 
 しかし既に時代はソ連からロシアへと変わっていた。彼の行動は権威とコネに物を言わせるソ連時代の遺物と 
 看做されただけだった。彼が愛したレッドスターと同じく、今では彼自身もまた堕ちた巨星に過ぎなかったのである。 
 そして96年、軍はAN-94を次期制式アサルトライフルとする声明を出した。   
 その後のAK‥ 
 AN-94の制式化と同じ94年、Izhmash社は海外マーケット向けにAKの近代化版を発売する。 
 AK101に始まる一連のシリーズは、基本デザインは従来のAKのまま、工作精度を高めプラスチックパーツを多用、 
 細部のデザインを見直したAKのアップデート版であり、旧東側の7.62 5.45mm弾に加え 5.56mmNATO弾の3口径 
 のラインナップを揃えていた。 
 こうしてAKは海外で-恐らくは旧世代の名銃として-その名を紡いで行く事となった、かに思えた。だが‥
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