(アルス刊「写真の教室」1952年7月号より)
「月例写真応募者のために — 第一回審査選後所感 浜谷浩」より
写真雑誌が口絵で、プロ写真家の作品に多くのページをさいたのは
戦後の一つの特徴であった。
それはそれで写真思潮の面でも技術の面でも日本の写真界のために
大きな役割を果してきた。
リアリズムの追究も、シンクロ技術の進歩も、常にプロ写真家が
その先頭に立ってきたのである。
だが私の考え方では、プロ写真家の仕事は写真雑誌より、より広い
社会の場に働きかけることが重要であり、写真雑誌はアマチュア
諸君の作品が開花する場所であってほしい。
・・・(審査員が)私の場合(言えることは)、
応募者諸君が審査員の写真の傾向に盲目的に迎合しないで、
白紙の立場で写真を作り、応募してもらえるだろうという
ことである。
自由に諸君の道を選び諸君の今日の成果を見せていただきたい。
審査員の作品や主張に自信を持って傾倒することは勿論悪いことでない。
信念無く思惑や好みに同調することが危険なのである。
避けなければならない。
幸い私は諸君と立場を異にした写真を数少なく発表しているにすぎない。
諸君は楽々と白紙になって、この諸君の道場である月例に参じていただきたい。
・・・第一回の集まった写真の傾向は、9割までがスナップ写真であった。
編集部では「明るく楽しい月例写真」ということで社告したのだが、
その反対のものが多かったことも面白い事実である。
スナップ写真が多いこと、暗く悲しい写真が多いこと、
今日の写真界の大勢であろうし、また日本の社会現象の一つの縮図でもあろう。
だからそういうモチーフに取組む必然性は十分にあるわけである。
創作活動に最も有難いことは「自由」ということだと思う。
殊にもアマチュア諸君は自由の持ち主であるわけである。
酷しい日常生活の中で写真の自由に価値を求めるべきであろう。
自由を得た場合に写真のモチーフはその間口を拡げてくれるのである。
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