永井荷風「放談」(1950年3月「改造」に掲載)より
(仮名遣いは現代風に改めました)
もう年をとっているから戦争後は鳩の町にも上野の山にも行かないよ。
しかし折があれば行ってもいいと思っている。年をとると誰に限らず
自然に品行は方正になるもんだが、僕は全力を尽して年をとっても
品行は方正になりたくないと思っているんだ。
今年の春頃、浅草雷門近辺に闇の女の現れ初めた時分だよ。
六区の劇場(引用者註:浅草ロック座か?)に用があったので、
毎晩通りかかりに話をしてだいぶん懇意になったこともある。
雷門から吾妻橋辺に出没する女は、やはり場所だけに有楽町辺に出る
女に比較すると服装もよくない、何となくみすぼらしいところが
僕の気に入ったので、蕎麦屋だのトンカツ屋などに連れて行って
一緒に食事もしたし、金もやったが、実際のところ老人の僕には
それ以上の要求がないのだから、金をやっても女のほうで気の毒だと
言って三度に一度は受け取らないのが居た。
懇意になってみるとあの女たちは僕の予想に違わず皆善良で憎もうと
思っても憎めない。女学校なんぞ経営する婦人なんかよりどれ程
善良だか知れない。
浅草にかぎらず上野や新宿を歩いてその辺の女のようすを見ると、
概して年が若い。たいてい二十二三、中には十台の女もいる。
鳩の町あたりでも女が概して若くなったのは戦争前には見られない事で、
戦後の特徴とも言えるだろう。
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