「テロ」というのは最悪の行為と思われがちだが、「他に選択肢の無い人のやむを得ない報復」という側面もある。 
   たとえば、王政の国で、王と正規軍に徹底的に弾圧されている「何も悪い事をしていない貧民」がいるとしよう。 
 王にも正規軍にも抵抗のしようが無い。質も量も敵わない。 
 であるならばその弾圧にどう立ち向かうかと言えば、王政を支えている商人や市民へゲリラ戦を仕掛けるしかない。 
 商人を攻撃する事で物資を減らし、市民を攻撃する事で正規軍の力を分散させる。 
 当然、本当は王や正規軍と戦うのが筋なのだが、そうしたら壊滅・全滅は目に見えている以上、「正々堂々」とは戦えない。 
 商人や市民へ無差別攻撃などはしたくないが、そうしなければ自分たちがただただ弾圧されるだけなのだ。 
 貧民は黙って弾圧されろと言うのか。 
 貧民は黙って搾取されて良いように弄られて殺されろと言うのか。 
 もしくは、圧倒的武力で全滅させられることが目に見えていながら、不公平な「正々堂々とした戦い」を挑めと言うのか。 
 商人や市民が第一攻撃目標でない事は理解しているが、王や正規軍に勝ったり妥協を引き出すには、他に術がない。 
 だからそうせざるを得ない。   
 そういう側面がテロにはある。   
 もちろん個人的にはテロは許容できないが、テロに走らざるを得ない状況を一方的に批難する気にもならない。 
 強者側(日本は国で見れば圧倒的に豊かな強者側)にいる時には衒いなく批難できるかもしれないが、 
 ひとたび弱者側になった時、同じ事が言えるのか。 
 目の前で愛する人が弾圧の為に次々と死んでいくとき、テロを選択しないで唯々諾々と死んでいけるのか。 
 「テロを選ばざるを得ない側」の言い分を上から潰すのは違和感がある。
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