
切腹のような権力者の引責自殺を清廉な行いとして尊ぶ志向性は、 
 実は江戸時代の日本が発祥なわけではない。   
 「史記」に次ぐ第二の中国正史である「漢書」は、 
 四書五経「春秋左氏伝」の勧善懲悪的な記録姿勢を規範としていて、 
 道家の万物斉同主義に基づき変人や悪人や民間の金持ちなどもおしなべて 
 記録している史記の姿勢と比べると、記事の取捨選択が恣意的なものになっている。   
 これが近現代の歴史家からの批判を受ける原因にもなっているが、 
 賄賂で記録をねじ曲げるような真似を始めた第三の中国正史「三国志」 
 などと違って、あくまで仁義道徳的な目的があっての恣意的記録となっている。   
 その漢書にやたらと多く見られるのが、時の権力者の引責自殺の記録。 
 不正を賄賂で隠蔽するようなことが茶飯事だった秦代までの中国と違い、 
 漢代は不正があればちゃんとその責任を取らせる時代だったことを強調している。    
>>11画の東方朔なども、人並み外れた教養の高さで滑稽譚を振りまきながら、 
 武帝の下で優秀な公務に励んでいたことが漢書に詳しく記載されている。 
 そのような書物の記録を楽しむこと自体が、一種の清廉さの情操ともなる。 
 江戸時代の人々もそのような教養があったから、忠臣蔵をも楽しむことができた。   
 知性教養による清廉さの養生。 
 学べば学ぶほど精神病質ばかりが助長されて行く洋学全盛の時代に、 
 そんな手段が実在していることすら知らない人間が大多数であろう。
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