半分冗談な話は置いといて、
今の日本は親が子の、年寄りが若者の将来を食いつぶしている世相なものだから、
正気の親や年寄りほど、我が子や若者への先輩面などをすることは憚られるものである。
偉大な先達として振る舞う道はもちろんのこと、本当に我が子の将来を思って
親身な育児に取り組んで行く道もまた、総員で閉ざされてしまっている。
偉大なる父親であることも、情深い母親であることも、
現実を直視しない不誠実さのうわべでの演技としてしか成り立たない。
だから今の時代の家族ってのは、いつもどこか「ごっこ遊び」をしている感が否めない。
まともな親なら誰でも我が子を愛し、その将来を心配するものだが、
誰もそれをやりきれるだけの資格も能力も持ち合わせてはいない。
だから、愛するとしてもまるで商売相手のように、将来を心配するとしても
保険屋か何かのように、一定の距離間を置いた事務的な姿勢になってしまう。
単体の家族がどんなに、そのような白々しさを払拭しようと努力してみたところで、
世の中がその完遂を禁止することにまでは逆らえない。結局、世のため人のため、
天下国家の将来を担って行く気概がないことには、我が子の一人すらとも
本当に切実な信頼関係を築き上げて行くことなどはできないのである。
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