自己向上のための求道手段を、西洋文化などに頼ったのでは、
底が浅すぎてすぐに飽きてしまうのも否めない。
欧米人は、キリスト教という他力本願の宗教を精神的な支柱にして来たものだから、
あらゆる文化文明を求道行為としては中途半端なものばかりに留め置いて来てもいる。
おまけに、頭を使うとなれば頭だけ、手先を使うとなれば手先だけ、体を使うとなれば体だけと、
心技体の部分々々を限定的に駆使する文化発展ばかりに終始して来たものだから、
頭を使えば文弱に、体を使えば体力馬鹿にといった「あっちを立てればこっちが立たず」
の事態を招くため、いつまでも人間性をプラスマイナスゼロ以上へと向上させることがない。
「小道といえども必ず観るべきもの有り。 遠きを致すにはおそらくは泥(なず)まん。
ここを以て君子は為(おさ)めざるなり」(子張第十九・四)
西洋文化はまさにこの「小道」にあたり、「観るべきもの」のきらびやかさ故に人気を博し、
今では東洋文化などよりもはるかに多くの人々に支持嗜好されてはいるが、その一切合切が
求道手段としては二足三文ほどの価値もない。ただやってて楽しいというまでの代物である。
「人生一度きりだからやりたいことやったもん勝ち」の「やりたいこと」にも
入りやすいだろうが、それ以上の価値があることまでをも期待すべきではない。
プロ級ともなればそれなりの努力をしていたりするのも確かだが、
金や名声のためにやってるんだから別に尊敬する必要もない。
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