
あえてひけらかしたりしない、 
 影なる努力や苦労への配慮の欠如だけでなく、 
 「天才」を神のごとく持て囃したりする風潮もまた、 
 陰徳の積善を妨げる大きな原因になっているといえる。   
 表向きにはちっとも努力などしているようには見えないにもかかわらず、 
 並外れた知能なり技術なり身体能力なりを持ち合わせている人間を、 
 実際のところを察しようともせずに軒並み「天才」と決めつけて称賛はするものの、 
 あくまで「天賦の才」だから自分ら凡人には及びもつかないものだと見限って、 
 自分たちが努力を積んで追い付いたりする相手と見なすことは早々と諦める。 
 そんな人間が大多数となると、陰陽を問わず努力による向上意欲全般が萎えてしまう。   
 実際、そういう天才もいるには違いないが、なんの努力もせずに並外れた能力を 
 持ち合わせているような人間は漏れなく、アスペルガーなりサヴァンなり鬱なりの 
 健康上の問題を抱えた「欠陥相殺型」の能力者であるものである。   
 そういう人間が高い能力を部分的に持ち合わせているのは、 
 脚のない欠損患者が強力なバネの付いた義足を履いて陸上競技の世界記録を 
 更新するようなもので、確かにそれはそれで奇特なことではあるが、 
 自分の脚で功績を挙げる場合ほどの偉業と見なすには値しないものである。   
 「努力は天才に勝る」なんていう格言もあるにはあるが、 
 これは単なる凡人への励ましではなく、現実にそうであると断定できることである。 
 欠陥相殺型ではなく、万事にかけて人並み以上であった上での高い能力の獲得こそは 
 健全な超人のあり方であり、努力をしたこともないような天才よりかは、 
 努力や苦労の仕方を知っている凡人のほうが目指し得るところでもある。
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