あくまで、匹夫の股をくぐっただとか、
人前で糞を漏らしただとか、いい年して無職童貞だとかの、
罪のない恥辱に限って言えることではあるが。
人間、一時的にはある程度の恥辱を被ることで、
大した根拠もないような薄っぺらいプライドを保っておける可能性を
あえてかなぐり捨てておくことが、有利に働くということがある。
そこでも潰えることのない自尊心こそは、雨にも風にも
大地震にも戦争にも決して損なわれることのない、本物の自尊心となる。
また、虚栄心を満たすために見栄っ張りの砂上の楼閣を築き上げるような
真似も控えて、本物の自尊心こそが喜ぶ仁徳盛業のみを心がけるようにもなる。
いい年になるまで完全無傷の順風満帆でやって来たような
エリート官僚だとか政治家だとか大企業の経営陣だとかは、こういう経験がないから弱い。
本物の自尊心や仁徳意識に基づいて、絶対にやってはならないと見なされる過ちと、
そこまでいかない過ちの区別が付かないから、とにかく万事にかけて絶対に間違いを
犯さないでいようとするが、だからこそ間違う時には致命的な間違いでも無差別に犯し、
一度過てばもう二度と立ち直れない。鋼のごとき粘りを欠いた
ガラスの精密細工止まりな人種でいるわけである。
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