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日本会議界隈の連中も、仏教をその存在性から全否定しているばかりではない。
「神道こそがあらゆる宗教の源流である」という戦前からの建前上、
仏教もその存在ぐらいは認める。認めた上で、格下に扱おうとする。
神道の祭壇の、格の低い位置に仏像を置いて一緒に祀ったりと、
なまじ一切取り合わないほうがマシであるような真似をしたり。
実際には、仏教こそがこの世や宇宙の真理を捉えた宗教としては最高峰である。
しかし、ただ「教義」が最高峰なだけで、最高峰だからこそ、ろくに実践できている人間もいない。
仮に仏者を敬うとしても、命がけで忠実な実践に取り組んでいる人間に限るべきだし、
始めから実践などできないと開き直っている念仏坊主を敬ったりするのも以ての外だから、
(本人たちもそんなことを望んではいない)実際に敬うべき相手などそう多くはならない。
昔から日本人は、そういう姿勢で仏教に接して来たのだが、今の上級に限ってはさにあらず。
浄土門の坊主でも経典を地べたに置くような真似ぐらいは許さないが、それすらも平気でやらかす。
「誹謗正法」という、念仏でも救われなくなる禁忌中の禁忌を犯す性向が心底根付いている。
全国民が「なぜあんなに馬鹿なのか」と呆れ返るその内実こそは如此である。
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