
仏教でいうほうの「三密」のうちの意密を、 
 天風会系のラージャヨガに即して、できる限り分かりやすく表現すれば、 
 「とにかく、あらゆることにかけての志しを全て失ってしまうことだけはない」だ。   
 俺だってもう中年で、人間の体力のピークである25歳前後からも遠く離れた。 
 今さらボルト以上の陸上選手や、フェルプス以上の水泳選手や、内村以上の体操選手なんかを 
 目指したりするのはまず無理だから、それぐらいのことは当然諦める。   
 将棋や囲碁だって、今からじゃ女流棋士のトップほどにもなれないだろう。 
 さらにそれ以前に、けん玉やヨーヨーや近頃のテレビゲームだってろくにやってないから、 
 現状ではその辺の小学生にも敵わない。そしてそのまま一生を終えるに違いない。   
 人生のうちで、進取向上を諦めなければならない取り組みなんて無数にあるが、 
 それでも、あらゆることに対する志しを何もかも、一切合切捨ててしまうようなことだけはしない。   
 現状ではさほどでないことでも、何かにかけては世界一、宇宙一になることを志し続ける。 
 結局モノにならないまま一生を終えるかもしれないが、それでも死ぬまで志しを失うことだけはない。   
 そういう心がけのある人間だけが、総合的能力にかけても人並み以上たり得る。 
 医者や大学教授やトップアスリートといえども、この心がけを捨てているようなら、 
 そこからは総合力ではその辺の女子供にも劣るようになる。だから妻子にも舐められる。   
 西洋化によって人としての心をないがしろにしてしまっている人間の多い時代、 
 この意密を失わないことが、どんな知能や技能や体力の修練よりも難しい。 
 今の日本の権力機構で出世を目論みながらなどでは、まず不可能なようである。   
 それも一つの志しであるはずなのに、志しの気高さを損なう自傷性を帯びているらしい。 
 「もうここまででいい」という安易な満足を得ることを目的とした志しが、 
 終身に渡る向上意識あっての意密を、かえって失わしめることもあるのである。
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