実際、今の世の中では、ヨガを志す人間のあいだですら、
身・口・意の三密加持がおおむね避けられている。
いま女たちに支持されてて世界的に一番人気があるハタヨガは、「身密」重視のヨガである。
これをやってる人間は意密の加持を全くやってないのがほぼ全員だし、
口密もやらないか、やっても体操の前後に意味もわからず多少唱えるだけである。
「意密」の重視ってのは、たとえば天風会会員の松岡修造みたいなあり方である。
リラックス目的のハタヨガとは似ても似つかない、情熱の塊そのものなあり方。
これこそが意密を重んずるラージャヨガの基本姿勢であり、ハタヨガの根本聖典である
「ハタヨーガ・プラディーピカー」においても、「ラージャヨガ抜きでハタヨガだけを
やるのは、目的と手段を取り違えた行為である」とまで明記されている。
ただ、松岡修造的な人間はこれまた身密や口密をないがしろにして、テニスなどの
現代社会で人気の活動ばかりに邁進しているから、これまた片手落ちというほかない。
松岡修造なみの情熱と共に、今の自分にはやりきれないぐらい上級のハタヨガに取り組み、
真言宗で伝承されているようなマントラを唱えるのであれば、これこそが三密の加持となる。
それぞれがあまりにも異質な事物同士であるものだから、なんでも一つ覚えばかりに
走りたがる現代人はどれかを進取しても、全てに取り組むようなことはあえて避けようとする。
だから結局、三密の加持も務まらない。これは実際、現代人の価値観に反する教理なのである。
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