一般的に生命の定義はそのとおりだが、別にそれが絶対というわけではない。 
   特に三番目の自己複製については、 
 ・自己複製を作る→未来に種を残す、生命をつなぎ続ける。   
 という目的の為の機能であるとも言える。その機能が無いと生命は途絶えるからだ。   
 >人工的な永遠存在が複製プロセスも排除するなら、それは物質である。 
 そんな事はない。それは生殖機能のない個体は物質であると言っているようなものだ。 
 去勢した生物、性器の無い障害個体は物質だとおもうか?   
 個人的目的はどうぞ勝手に自分で決めてください。とは思うが、その目的を決める為の土壌、基盤は 
 全て、生物的基盤、基礎、歴史、進化的に獲得した機能に基づいている。 
 そういう基本に則って、意味や目的は探すしか無い、生命である以上何人たりともそのカルマから逃れることは出来ない。   
 心や自我、感情も全て生きるため、子孫を残すために誕生した機能なのだから、それが誕生した背景を知って、それを活かす方向でしか意味や目的なんて見いだせる訳もない。 
 どんなに生物的目的が無いといったところで、我々の体には既に35億年分の一回も途絶えることなく続いてきた生命の歴史、カルマが刻まれている。 
 むしろ体、心にはそれ以外の何もないと言っても良い。 
 偶発的に起こる不測の突然変異は確かに起こるが、そんなものは全ゲノムからすれば数えるうちにも入らない程、微小の変化。 
 35億年の間に積み重なった圧倒的な生物的アルゴリズムは、驚くほど順応的で、整然と機能している。そこに生命の意思がある。
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