>>23 商業主義加担もあると思うが
その昔はムード歌謡、演歌、アイドル歌が流行歌の
主流、そしてすべてが職業作家と事務所により計算され
作られた商品だった。そしてフォーク、その後のニューミュージック系は
事務所の扱いとしてはあまり当てにされてない酷いものだったんだと思われる
特に当時の出世の証であるテレビ出演などあるわけもない。
そんな中地方のラジオ仕事はおこぼれで貰えたりした。
小さなライブハウスでのツアーにつぐツアーでコアなファンを
地道につかむ方法しかなかったが、20歳以下に共鳴できるような
詩の綴りとか自作自演のオリジナリティ、自発性に次第に若い世代が
なびいて行く。そして金になると解ったとたん、擦り寄ってくる商業主義に
対する抵抗だったんだと思う。
順子のヒットで長淵も出演していたが、途中で演奏を止めて初めから
やり始めたりとかいうのは、生ライブにテレビスタッフをハラハラさせてやり
出演はしたけどヤンチャでつめ跡残してやるみたいな感じだったんだと思う。
例の拓郎布施事件というのは、今まで事務所、職業作家、歌い手が
作る日本歌謡界の序列だけで作ってきたテレビ歌番組にライブ一筋の
無法者それも若いから反体制思考でもある野郎がやってきたからぶつかるのは当然。
ましてお抱えオーケストラの前で歌うのが当然とされていた中において
ギター独演とかバンド演奏となると当然自前の楽器を持ち込み
前もって別スタジオでの準備が必要なわけでそんな配慮などテレビ界も
したことが無くそれもテレビ業界としては新参だから発言力もなかったんだろう。
これが改善されたのは世良ツイストがテレビに出た頃
時の人である世良があれこれ注文をつけてくれたからと当時は後輩であり
人気もなかった桑田は人柱になってくれた世良に感謝しているらしい
話しは戻るけど最初はちょっとした抵抗から始まったんだけど
当時の大人も社会も嫌いだ的な反体制若者文化に同調するもんがあったんじゃないだろうか
見たくても見れないという渇水感がさらに渇水を呼び
神格化されステータスを維持できるってのが商業的ヒントになった。
その後大黒まき、zardのメディア控えるスタイルのきっかけになったんだと思う
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