東トルキスタン(新疆)


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001 2019/12/06(金) 01:51:01 ID:f0iuKwpKC.
ウイグルの民が住む。中共
による侵略を受けている。

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041 2026/02/26(木) 03:40:37 ID:WiUbnjhEPw
>>40
紀元前139年〜 張騫の西域遠征 武帝に命じられたのが張騫の旅がシルクロード開通の決定打となった。道中で匈奴に捕まり10年以上拘束されましたが、隙を見て脱走し、さらに西へと向かい同盟には失敗しましたが、彼は中央アジア(現在のフェルガナやバクトリア)に、高度な都市文明や「汗血馬(かんけつば)」と呼ばれる優れた馬がいることを発見し、漢に持ち帰りました。
軍事道路から通商路へ 張騫の報告を受けて、武帝は西域へ大規模な軍隊を派遣し、匈奴を追い払って「河西回廊(かせいかいろう)」を確保。砂漠の縁に沿って拠点(敦煌など)を作り、兵士を住まわせて道を守らせ、安全が確保されると、中国の絹と、西方の馬・宝石・ガラス・仏教などが交換されるようになり、自然発生的に巨大な交易ネットワークへと発展しました。

推定 肥沃な三日月地帯からの「文明のリレー」
記録以前の段階で、高い鼻、青い目、あるいは赤毛といった形質を持つ人々(印欧語族系)は、断続的に河西回廊を通り、中国の西端にまで到達していました。彼らは「高度な冶金術(金属加工)」と「麦作」をセットで持ち込んだため、現地民からは「特別な力を持つ民」と見なされた可能性があります。農耕(小麦)の伝播は、一度の大移動ではなく「隣の村への伝授」の繰り返しでした。しかし、その過程で「暦」や「占星術」といった宗教的知見も一緒に移動しました。これが後の道教に繋がるオリエント由来の知識の断片となったと推測されます。

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042 2026/02/26(木) 03:43:40 ID:WiUbnjhEPw
>>40
斉家文化(せいかぶんか)は、中国甘粛省の黄河上流域を中心に紀元前2400年頃から紀元前1900年頃にかけて存在した新石器時代末期から青銅器時代初期の文化。
斉家文化の遺物の多くは、アルタイ山脈地域のSeima-Turbino文化に由来すると考えられている。

斉家文化は黄河上流に古代羌族が作った異民族の文化であったと言われており、中国中原の文化から見れば西のえびす (西戎)の文化である。その理由かどうかは分からないが、 斉家文化に注目する中国の学者が少ないのは治銅の重要な技術の起源が異民族の文化ではなく中原にあってほしいという願望の表れか 文化は中華の中原から周辺の文化に影響を与えたというような思い込み…http://ushimachi.web.fc2.com/newpage91.ht...

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043 2026/04/02(木) 13:54:06 ID:Cb0ImtjLfc
シルクロードの繁栄から、オスマン帝国の火砲による衝撃、そして現代の中露による東西分割(トルキスタン等の分断)に至るまで
 7世紀〜10世紀 シルクロードの黄金期「富の集積とソグド人の暗躍」
背景: 唐(中国)と突厥(遊牧民)、ペルシャ(西アジア)の間で、ソグド人が仲介貿易を独占。
地政学: この時期は「衝突」よりも「共生」に近く、パミール高原やトルキスタンは世界で最も豊かな文化交流の結節点でした。
転換点: 751年「タラス河畔の戦い」でイスラム勢力が唐を破り、中央アジアのイスラム化が始まります。
 11世紀:セルジューク朝の爆発的拡大 中央アジアから現れたトルコ系遊牧民が、イスラム教を受け入れて軍事集団化。
衝突の構図: 1071年「マンジケルトの戦い」でビザンツ帝国(東方正教)を撃破し、アナトリア(現在のトルコ)へ進出。これが十字軍遠征を引き起こす直接の引き金となりました。
文明の変質: それまでの「アラブ・ペルシャ中心」のイスラム文明が、トルコ系の武力を背景とした「軍事的な拡大文明」へと変貌しました。
 12世紀〜13世紀:モンゴルの衝撃 チンギス・ハン率いるモンゴル帝国が、セルジューク朝を含むユーラシア全域を席巻。
肉の盾の破壊: モンゴルは既存の国境や「肉の盾」をすべてなぎ倒し、一時的にユーラシアを一つの通商圏(タタールの平和)に統合しました。
遺産: しかし、モンゴルが撤退・分裂した後の「空白地帯」をめぐって、後のロシア、清、オスマンによる壮絶な「境界線(断層線)」の引き直しが始まることになります。

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044 2026/04/02(木) 14:04:05 ID:Cb0ImtjLfc
>>43
 14世紀:オスマン帝国の登場と「火薬」への予兆 セルジューク朝がモンゴルによって弱体化した後、その遺領から小君侯国の一つとしてオスマン1世が台頭。
展開: 14世紀末にはバルカン半島(ユーゴ方面)へ進出し、欧州諸国を震え上がらせます。これが後の「ウルバン砲(15世紀)」による圧倒的な火力支配へと繋がっていくステップとなりました。
 15世紀〜16世紀オスマン帝国の台頭と「火薬の衝撃」ウルバン砲による既存秩序の破壊
1453年: オスマン帝国が巨大なウルバン砲でコンスタンティノープルを陥落。中世的な「城壁による防衛」が無効化されます。
影響: オスマンの強大な火力と軍事力が東欧(ユーゴ方面)や中央アジアを圧迫。
大航海時代の誘発: オスマンが陸のシルクロードを掌握・課税したため、欧州諸国は海路(インド航路)を開拓。
陸の交易路(シルクロード)が相対的に衰退し、この地域は「富の道」から「帝国の防衛線(肉の盾)」へと変貌します。
 18世紀〜19世紀 グレート・ゲームと中露の拡張「近代帝国による分割の始まり」
ロシアの南下: ロシア帝国が北コーカサスや西トルキスタンを征服。
清の西進: 乾隆帝が東トルキスタン(新疆)を征服。「新しい領土(新疆)」として清の版図に組み込みます。
境界の固定: イギリス(インド保持)とロシア、清の三者が、パミール高原やアラカン山脈周辺を「緩衝地帯」として確定させ、住民の意向を無視した人為的な国境線が引かれます。

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045 2026/04/02(木) 16:46:12 ID:QIKypGckVQ
>>44
 20世紀〜現代 第2世界(共産圏)による分割統治「冷戦とポスト冷戦の断層線」
ソ連と中国: 共産主義体制下で、中央アジア(西)はソ連の共和国、新疆(東)は中国の自治区として完全に分断。
分割統治: 民族を細分化して対立させる「ソ連式」と、漢民族の入植による「中国式」の統治が進み、これが現代のウイグル問題やコーカサスの紛争の火種となります。
現在: ソ連崩壊後、西側は独立(カザフスタン等)しましたが、東側は中国の強力な統治下にあり、パミール高原を挟んだ「文明と体制の断層」はかつてないほど深まっています。

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