信義のための信義、嘘偽りの裏表なき信義を本位とした
歴史文化を育んできたのは、欧米ではなく昔の日本のほうである。
たとえば、海外ではやたらと日本文化の代表格として持て囃されている「忍者」も、
現実には戦国末期などの一時期に多少活躍した程度な上、実態はさほど特殊な装束などを
凝らしていたわけでもない只のスパイである。忍者の武器と思われている手裏剣なども、
本当は武家の嗜みのうちであり、忍者が特別武芸の能力に秀でていたなんてこともない。
全人口の約一割を占めていた武士が実在のものであるのは確かでも、
昨今のパブリックイメージ的な忍者が実在のものでないのは、 日本人なら
なんとなくでも察しているものだが、海外の、特に欧米ではむしろ忍者のほうが
武士よりも人気であったりする。これは、武士が封建社会の支配者であったことが
民主主義に基いては評価しづらい上に、忍者がこなしていたとされるような
裏方働きのほうが、欧米人にとってはよく馴染みがあるものだからだ。
欧米人は、自分たちが外征先で遊び回るような色情狂ばかりだからこそ、初めて日本に
やって来た頃にも芸者ばかりが目に付いた。だから未だに「ゲイシャ」を日本文化の代表格
扱いしているのと同じように、「ニンジャ」人気もまた欧米人の本性こそを露呈させている。
本当の日本はそれとは逆で、歴史的、社会的な重要性では圧倒的に武士>>忍者であった。
この温度差こそは、日本と欧米の文化の表裏性の有無を決定づける証拠になっていると言える。
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