詳しい方、お願いいたします


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001 2013/01/04(金) 17:04:44 ID:KCi3NDZ5ds
戦闘機から爆撃機等
旧日本軍機の写真やら、解説とか載っている
本(図鑑みたいな?)ありますか?

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002 2013/01/04(金) 17:25:15 ID:8hLnnf9xY2
>>1
君の目の前にあるパソコンで検索してみたほうが、本屋で探し回るよりも
余程早いと思うよ。
数十年前なら、機種別ごとに本があったんだが・・・
中には機の設計図のコピーまで綴じ込みであった本も存在したくらいだ。

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003 2013/01/04(金) 17:43:33 ID:PwqxA5B36Q
これは零式艦上戦闘機31型かな?(色が違うか?)
日本軍すべての戦闘機が網羅されてる図鑑はあまり見たことがないね
所属別とか戦歴別とかにまとめられている資料が多いと思う ただし以上に高価だ
図書館で見るのが一番いいと思う

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004 2013/01/04(金) 18:06:15 ID:h2.YvkEOXQ
ディアゴスティーニに頼んでみるとか

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005 2013/01/04(金) 18:59:01 ID:DJLOH8p7YU
戦時中までのものならこれかな。図書館で借りれると思う

日本航空機大図鑑−1910年−1945年−上巻 小川利彦著 国書刊行会 1993
日本航空機大図鑑−1910年−1945年−中巻 小川利彦著 国書刊行会 1993
日本航空機大図鑑−1910年−1945年−下巻 小川利彦著 国書刊行会 1993

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006 2013/01/05(土) 01:32:03 ID:m9bkqLxwco
>>3
>>零式艦上戦闘機31型

聞いたことねえ・・・

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007 2013/01/05(土) 04:33:29 ID:O729LAIVvE
エックス図鑑。

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008 2013/01/05(土) 07:50:34 ID:H1lJ9AGbHI
ゼロ戦は2ケタの数字で型番を付けてるんだね。
たしか56型まであったんじゃないかな?
航空母艦に積むため主翼の先っちょが上に折れる型は何番だっけ?

腹の面が空色に塗装され、裏返しの体勢で海面すれすれを
飛んで敵中を脱出した猛者が居たそうだ。

ワイルドキャット(グラマン社)を屠りまくった。
ヘルキャットはより強かったがゼロの敵じゃあなかった。
ムスタングは速くて強敵だった。

画像の特攻機もゼロかな?

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009 2013/01/05(土) 11:49:32 ID:zFQ9SVXL9U
>>8画像の特攻機は彗星33型だと思います。

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010 2013/01/05(土) 12:52:22 ID:wvuPnci3HM
日本軍機ならこの本にほぼすべて網羅されてるよ
 ↓
世界の駄っ作機
http://www.amazon.co.jp/dp/4499226899...

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011 2013/01/05(土) 13:02:56 ID:wvuPnci3HM
>>8
>航空母艦に積むため主翼の先っちょが上に折れる型

 21型。その後主翼の先をカットした32型が出たけどその形状から翼端抵抗が増えて
 航続距離が短くなるなど性能低下したのですぐに21型の翼に戻して翼内に燃料タンクを
 追加した22型になった。 なので21型→32型→22型という変則な順番になっている
 >>6さんの言うように31型というのは存在しない

>>1はロケット排気管があるので52型で機銃が20ミリだけだから甲型かな
 
 

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012 2013/01/05(土) 14:11:37 ID:2hF1SUkZ16
日本飛行機100選 野沢正

旧い本だし100機だけどこれ良いよ

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013 2013/01/05(土) 14:43:02 ID:Pgg.z9K5wE
>>11
左の数字が機体。右の数字がエンジン。

21型と22型は機体が同じだがエンジンが違う。
32型と22型は機体は違うがエンジンは同じ。

折り畳み部分の翼端切って(32型)みたが
現場からの評判が悪く元に戻した。(22型)

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014 2013/01/05(土) 17:43:26 ID:wvuPnci3HM
>>9
搭乗員は誰でありますか(`・ω・´)ゝ

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015 2013/01/05(土) 17:52:40 ID:.I1TN0xepw
42型は「しに」って読めるので
つけなかって本当ですか?

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016 2013/01/05(土) 18:12:37 ID:Pi.MnKwocU
017 2013/01/05(土) 20:45:11 ID:wvuPnci3HM
>>13
>左の数字が機体。右の数字がエンジン。

へえ〜そうだったんだ。それで52→62→54と
機番が開発順じゃないんだね。勉強になったありがとう。

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018 2013/01/08(火) 20:38:35 ID:i8xUZLCw3I
>>15
戦場で死ぬ事こそ武士の本望だろ

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019 2013/01/08(火) 21:22:02 ID:0WU0sxs8yo
零戦に関してなら「零戦の会」だっけ?
元戦闘機乗りの旧海軍の人達で運営してるサイトあったよ
大概 知りたい事は検索してた方が本よりすぐに大量にわかるけどね
俺とかサイト関係者にメールしちゃう時もあるし そこは努力と工夫だよ。
ネット上手は検索上手と言うから 頑張ってみれば?

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020 2013/01/09(水) 06:53:10 ID:yX.oxGYzEw
021 2013/01/10(木) 20:36:40 ID:F3EmJTjcCw
今日、会社で靖国神社に初詣行ったので
ついでににゼロ戦見てきた

当時の人が「これがあればアメリカに勝てる」って思ったのも
無理はないなと思ったくらいかっこよかった

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022 2013/01/17(木) 18:52:24 ID:CRlyiqreLM
ゼロ戦

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023 2013/01/17(木) 19:19:35 ID:tfafZSc3rY
>>22
カウリングの形が変

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024 2013/01/17(木) 20:07:00 ID:49yq7SpRFs
ゼロ戦の52型だと甲・乙・丙の4タイプあるね。

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025 2013/01/22(火) 17:28:13 ID:Q8pCK2589A
>>24
お前、それは雷電だ。
マニアはその写真で雷電何型と見分けられるから待ってろ。

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026 2013/01/23(水) 17:52:05 ID:yDkfT/d6.c
>>25
窓枠、カウリングから判断するに、二一型(J2M3)ではないかな。

それにしてもこの写真、垂直尾翼にタブらしき出っ張りが写ってるけど、
本来の雷電のタブとは位置が異なるのが気になる。

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027 2013/01/23(水) 19:00:34 ID:nluLXB2MHk
零戦に挑戦した最初のアメリカの戦闘機は、ずんぐりしたF4Fワイルドキ
ャットだった。零戦は軽量なため、速度、加速力、上昇率、運動性に勝って
いた。ワイルドキャットは降下上昇戦術と2機の連携、それに被弾に強い
特性によって、なんとか巻き返すことができた。

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028 2013/01/23(水) 19:52:07 ID:2DGx46wo8g
1vs1ではゼロに適わないが、2機組なら数倍のゼロを相手にできる

F4Fは後の米機とは異なり上昇率は勿論 ダイブでも率・速度ともゼロ戦と
大差ないんだな。そのため上下運動含めて巴戦は非推奨
いわゆるサッチウィーブも水平面機動だし

F4Fが当時の他国機に対して明確に勝っていた点としては、射撃精度も挙げられる
これは弾道特性に優れた機銃、その機銃の1種連装配置、Mk-8照準装置といった
ハード面に加え、豊富な実弾射撃訓練の実施+偏差射撃法を新兵訓練から実施する
といったソフト・技量面での優位も大きい。サッチも偏差射撃あっての戦法で、仮に
F4Fが同時期の日本や米陸軍にあっても、あれほど有効な編隊戦法は取れなかったと思ふ

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029 2013/01/23(水) 20:47:47 ID:nluLXB2MHk
サッチ・ウィーブの概念。二機編隊で概ね200メートル前後の距離を空けて
お互いをサポートするチームワークを重視した戦法(高性能な無線機が必須)。

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030 2013/01/23(水) 21:43:29 ID:yDkfT/d6.c
>>27
ワザとだと思うけど一応お約束のツッコミをw
それは三菱キ-51(99式襲撃機)だよ。

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031 2013/01/23(水) 21:50:03 ID:eUZmrHcHMs
ものすごく詳しい人がいて感心する

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032 2013/01/24(木) 15:11:03 ID:kXqvbLa2XA
>>28
それは知るところとは大分違うなぁ。

F4Fは、米海軍よりも先に英海軍が採用し前線に配備したんだけど(英海軍名はマートレット)
欧州戦線では、速度、上昇力、火力の不足がはなはだしく米海軍が性能向上型の開発をグラマンに指示したほど。(それがF6Fになった)

ちなみに、太平洋戦争開戦8ヶ月後の1942年8月のガダルカナル島北部上空でのF4Fと零戦の空戦では、米77機、日17機の劣勢で、損失は米側36機、日本側1機の結果。

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033 2013/01/24(木) 15:37:39 ID:kXqvbLa2XA
米海軍は、1942年7月アクタン島で捕獲した零戦21型をワイルドキャット(おそらくF4F-4)と比較したんだけど、速度、上昇力、旋回性能のすべてで劣ってた。
F4Fは、エンジン出力でこそ上回っていたけど(F4Fは1200馬力、 A6M2は940馬力)零戦よりサイズは少し小さいのに1トンも重かったからね。

ただ、零戦が最も旋回性能が良いのは140‾160ktで、300kt超ではフラッターが発生することや、防弾装備の不備等の情報も得たので、その後の戦法として、零戦が旋回に入ったら追尾しない、また背後につかれた時には急横転、急降下、高速旋回で逃れるようにとの指示が出た。

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034 2013/01/24(木) 16:10:18 ID:keclJVC7Xc
零戦撃墜王の岩本徹三氏の著作を読むと4機の小隊で上空に列機を配置して
空戦をしているダブル・サッチ・ウィーブかと想像する。

岩本氏は常に先に敵を視認しているし大陸でも南太平洋でも本土でもイ16や
ハリケーンやF4FにヘルキャットまたB29など撃墜している。また三号爆弾の
妙手でコンソリとか爆撃機を編隊まるごと何度も撃破している。
無敗では無く体調の悪い時に無理して飛び乗機に100発程ブローニングを撃ち
込まれるも奇跡的に生還している。やはり強運も撃墜王の要素だと思った。

p.s.支障なく無線交信していて?でした。ついでに生誕地は樺太です。

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035 2013/01/24(木) 18:26:11 ID:n8tD4eDkhM
>32
日本側の機数と戦果から、8/7の空戦の事でしょうか?
零戦側が最大の空中戦果を挙げた時ですね

日米それぞれの戦闘報告書に書かれた自軍の損失を基にすれば
日:一式陸攻27/4+2 零戦17/1+1 艦爆9/5+4 戦果報告は撃墜確実37+不確実6(戦闘機は30+6)
米:F4F 18/10+6
数字は出撃数/被撃墜+未帰還 なお日本側の艦爆は航続距離の関係で未帰還前提で出撃

最大戦果な空戦でコレです。一方的な戦果がお望みなら 8/26に
零戦が出撃9/未帰還5 F4Fが同12/1なんてのも出せますけどね

注目すべきは、日本側の『公式』な戦闘記録における敵戦力と戦果報告のいい加減さ。
この時期のガ島は日本側航空隊が練度・数・補給で遥かに勝っていたのにコレ
米基地航空隊、当初は戦闘機配備数で1:5、酸素ボンベ皆無で損傷機体から燃料と
部品剥いで休み無しで出撃‥と末期日本並みのド窮乏状態。長距離途洋してくる
相手を迎撃、という利点もあったとはいえ、ここから台南空を実質壊滅に追い込ん
でますからね

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036 2013/01/24(木) 18:31:08 ID:n8tD4eDkhM
また、この時期の零戦は攻撃隊の護衛として出張っているのですが
・米戦闘機隊は零戦無視して攻撃隊を襲ってくる
・なのに零戦隊は護衛の意思・戦術とも無さすぎ
・何やってんだ
と攻撃隊からダメ出し喰らってますです

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037 2013/01/24(木) 19:50:31 ID:keclJVC7Xc
>と攻撃隊からダメ出し喰らってますです

雑多な空戦記を読んで分かったのは、仕事の出来る小隊長クラス
は少ない。学校の成績での中隊長クラスが多く世話が焼けるとか
ほぼ飛んでいるだけだよ。
---------------------
知られていますが日米では勤務時間が違いすぎます。

J.M.フォスター大尉 VMF-222
1943年9月〜1944年3月ニュージョージア島ムンダ
勤務は前線勤務6週間のちシドニーで1週間休暇そして2週間の訓練後に再び前線勤務に戻る。
これを三度繰り返すと帰国の権利を得る。志願すれば前線勤務も可能。

そして「撃墜されるな」の命令はあっても、「撃墜せよ」は山本長官機撃墜のp-38の他は
聞いたことがないらしい。

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038 2013/01/24(木) 20:31:41 ID:Z1qZUc5u4Y
>>35
戦果報告のいい加減さはアメリカも大差ない。
訳知り顔に日本、零戦を貶めていい気になっていそうなのでちょっとね。

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039 2013/01/24(木) 21:17:55 ID:n8tD4eDkhM
8/26で言えば、米:零戦3 日:10機 とそれぞれ戦果上げてます
渡辺洋二氏は、攻撃されるとダイブで逃げる米軍の基本マニューバを撃墜と誤認した
(零戦はこういう逃げ方しないので)、それが大戦前半の日本戦闘機隊の異常に甘い
戦果認識を生み、弊害やペロハチのような誤説を生んだと書いてますね

また当時の各国戦闘機隊に共通する役割分担は
中隊長:士官 敵機攻撃は主任務にあらず やや後方に位置し戦局判断を行う
小隊長:古参兵 敵機攻撃が任務
列機 :兵 隊長機の後方を追尾し援護
で、要求される仕事も資質も養成も異なるんですね
ついでに言えば死亡率が最も高くなるのは列機。養成コストから言えば合理的ですが‥

日本の航空機搭乗員の休養が、対米比で無頓着・スリ潰し傾向だった事は否めませんが、
それでも空母・基地(内地・後方含む)・教育隊 での転属ローテを行って旧軍なりに
気は使ってるんです。新兵養成規模の格差ゆえ退役できない・戦局悪化で前線勤務連続
はありますが、それは他国含めて共通ですし
まあ帰還不能になったら乗員もろとも自爆だの文字通りの決死の覚悟を推奨したりと
自分で人員不足の原因作ってた面もあるけどね

なおダメ出し反省会を受けて、零戦隊は後上方待機→先行して制空権確保 に戦術転換
します。攻撃隊も高度上げたりして攻撃機の損失は減るのですが、代わりに零戦の損失
が増えるという‥作戦目的とコスト考えれば陸攻>>>零戦だから良いんですけどね

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040 2013/01/24(木) 21:21:16 ID:n8tD4eDkhM
戦果報告、ですね
26日のは、こっちの数倍のF4Fに迎撃されたけど返り討ち♪
と日本側報告では勝ち戦になってますです

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041 2013/01/24(木) 23:06:41 ID:keclJVC7Xc
陸攻つながりで

雷撃の場合、魚雷の安全投下の為にかなり減速するらしい、大型の一式陸攻だと
標的になるし生還が望めないと思う。実際最初はただの輸送機かと思った。
---- ---- ----
一式陸攻の若い操縦員が夜間飛行に自信が無いと言うので、私が操縦してやるか
らと、テニアン島での一泊を中止して、岩本氏ぶじ木更津に着く。その朝に敵の
機動部隊と大上陸船団がサイパン、テニアン島に来襲した。やはり強運だと思う。

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042 2013/01/24(木) 23:24:05 ID:yRXlsxQE.2
>>39さんは詳しそうだから質問するけど

戦記物を読むと戦争の中盤以降「前線に戦闘機が全然無かった」って話が多いけど

開戦時の搭乗員数が2700人前後。ゼロ戦が11000機、隼が5000機、飛燕が2700機
終戦間際の大量生産があったとしてもラバウルのように搭乗員が50人いれば
大活躍できた時代になんで戦闘機が足りなかったの?

外地の戦闘ならラバウルクラスの50人程度の部隊が20個あれば戦力的には十分だし
1000人のパイロットに3倍の飛行機を用意すればいいんだから
それくらいの生産能力はあったと思うんだけど

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043 2013/01/25(金) 11:04:26 ID:Ke33gRkN72
「消耗戦抄」
1942年6月5日にミッドウェイ海戦で234機の航空機を失う。

1942年8月7日から1943年2月10日のソロモン航空戦で730機消耗し970機補充。(米軍は560/1025)

1943年4月7日〜13日「い号作戦」時のラバウル航空兵力総数350機強で43機消耗(米軍は31機)。
1943年11月1日〜11月12日「ろ号作戦」空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳の搭載機173機がラバウルに増援で120機消耗。

1944年1月19日ラバウル基地の稼働154機、搭乗員の3割は負傷と傷病にて動けず。
1944年1月25日空母龍鳳、隼鷹、飛鷹の艦載機123機をラバウルに補充。疲弊しきった機材人員はトラック島に引き上げ。
1944年2月17日古賀大将ラバウル撤退を決意、残留は九三八空と九五八空(終戦迄)の2個の水偵隊のみ。

その後も海軍は破損機を集め零戦12機を作り偵察や1944年11月9日にはハイン島の飛行場を空襲。
陸軍もスクラップを集め司偵2機と隼5機を作り上げる。司偵1機のみ終戦まで活躍。

画像は空母龍鳳

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044 2013/01/25(金) 16:25:40 ID:OwwuFlBevc
>>35>>36
なるほど、戦績にはいろいろあるということで、詳細をありがとうございます。

上昇率は重量に逆比例するので、やはりF4Fと零戦が同程度というのは無理があると思いますが、
戦闘はスポーツのように条件をイーブンで行う訳じゃありませんから、搭乗員の技量、体調、士気の差、装備重量や燃料量の違い、気象、高度など様々な要因がからみますもんね。
明らかに性能負けしてるバッファローでも、かなりの戦績を挙げたフィンランドの例もあるし。

>>34
第二次大戦北ヨーロッパで最高の94機の撃墜数を持つ、フィンランド空軍のアイノ・イルマリ・ユーティライネン氏は、その戦歴で受けた銃弾は7.7mm1発のみとのこと。
強運もそうですが、見張り、立ち回りが抜きん出ていたんでしょうね。

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045 2013/01/25(金) 17:30:55 ID:7JT3wID9w.
坂井さんもおなじような事を書いているね。
優秀なパイロットは相手より先に発見して相手が気がつかないうちに
死角から撃墜してしまうので、本当に優秀なパイロットは格闘戦をしないと

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046 2013/01/25(金) 22:00:57 ID:IKebFptpFo
ですね。個人的には43年あたりまでは各機とも総合力で大差は無いと思ってます
何に主眼を置くかで個性が違い、相性や使い方の向き不向き(運)で優劣が付く程度かと
後期になると馬力格差や信頼性で如何とも‥が出てきますが
例えば、F4FもF6Fも米海軍から航続距離不足が問題視されてます。攻撃隊に随行できない
随行させると空母を敵機行動圏に長時間晒す。になるんで、艦戦としては大きな欠点です
機体意外の要因で、たまたま・結果的に難点晒さずに済んだとも言えます
逆に距離に振った零戦は、攻性期には利点を・防戦期には難点を如実に示してますね

機体数については、開戦時点での一線級の海軍戦闘機定数が 零戦300
F4F 200(海兵隊含む) どっちもこれしか持って無い。
こっから日米とも大慌てで機体とPの増産に励んでいくのですが、生産・養成速度の差
に加え前線への運搬能力にも格差がありました。
米の場合、民間Pが多数居たこと、補助任務向けのPと整備士を抱える人材余力があった
こと、中期以降は週刊護衛空母まで加わって割りとスムーズに回せてます。
対して日本は自力飛行=P不足 船=どころか油も不足気味‥

前中期の前線での機体損耗率は日米大差無いのですが、補充に差があるので時間と共に
足りない度に差が目立つ。理想を言えば総力戦を見越して開戦前に充分な数と補充体制
を揃えておくべきなんでしょうが、そんな国力があれば対米開戦の必要も無いと‥

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047 2013/01/25(金) 22:12:29 ID:IKebFptpFo
加えて言えば、当時の戦闘機・特にそのエンジンは使い捨てに近い
日本海軍の開戦当時の規定では、艦載機は滞空100〜200時間程度で
前線任務から外し、後方の教育や哨戒など補助任務に回す事になってる
レーシングカーと一緒で、耐久性度外視して性能絞り出してるんで‥

なんで仮に戦闘・事故損失がゼロでも、前線ではすぐに機体不足になっちゃいます

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048 2013/01/29(火) 23:28:28 ID:1x0.8HzV3w
日本は下士官パイロットの存在が大きなマイナスでしょう。
技量が低いけど士官学校卒の士官パイロットと若年から現場たたき上げで
技量最高だが、地位が低い下士官パイロットの対立構造はロッテ戦法のような
複数の機体が共同して攻撃するタイプの戦術には向かなかった。

なぜなら地位の低い下士官パイロットにとって自分自身の存在意義は「技量」のみであり
その技量を証明である「撃墜数」の競い合いでは他人の仲良くってわけにはいかなかったから、スタンドプレーが目立ってしまった

海軍も予科練卒業して3年程度部隊勤務の後に、予科練に教官としてもどして
士官教育のあと士官パイロットにするとか、最終的に全員が士官になれるシステムに
してれば、部隊全体で戦う戦法も可能だったろうに

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049 2013/01/30(水) 17:55:42 ID:kPVzzuWY2o
WW2当時、下士官パイロットがなかったのはアメリカだけ(※
で、他の国は日本と同様に士官養成組と下士官との混成でしたよ
(※P候補生採用の士官、兵からPに選抜転向の准尉(準士官)で区分は有り

例えばロッテなドイツで、ハルトマンは新卒少尉の時に大エースな古参曹長と編隊
組んでました(でヘッポコ晒すと)。この曹長は戦死特進で少尉になっただけ
下士官P混じりゆえ編隊戦法取れない、って事は無いと思います。むしろ下士官を
小隊指揮官に積極登用+年季が絶対、って日本の特徴は編隊行動に向いてる気もします

それに日本の場合は全員士官に上げても仲良くできないと思うの。
下士官P同士でも予科練甲乙丙か養成所組か、士官Pでも兵学校出か特務か、などと
出自で反目しまくりだったから‥

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050 2013/01/30(水) 19:43:21 ID:F3H4HnHle2
3機変体をやめて2機+2機の2ペアで4機編隊にすれば良かったのに

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051 2013/01/30(水) 20:24:56 ID:cHmykOja9A
>3機変体をやめて2機+2機の2ペアで4機編隊にすれば良かったのに

3Pはやめて2人+2人でスワップすればよかったのに・・
と、読んだ俺は欲求不満w

返信する

052 2013/01/30(水) 23:44:57 ID:AlOb/3cwr6
大戦後期は4機1小隊のはずだったけど

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053 2013/01/31(木) 11:42:43 ID:MnlvavodfI
陸軍は12人で1小隊なんだから、同じでよかったのに

返信する

054 2013/02/01(金) 14:50:57 ID:p6lroubC3Y
昨晩から陸軍空中勤務者の小川准尉による東京湾上空二単でP51立て続けに二機撃墜の
掲載本探しているが見つからない。
---------------------------------
850Km/hの急降下、12.6Gまで耐えられる構造を持つ主翼、旋回性能を維持するため
中島独自の空戦フラップ兼用の蝶型フラップを採用。
水平尾翼より後方に配置された垂直尾翼は横安定性と縦安定性を分離して考えた結果で
かなり有効であったようです。

返信する

055 2013/02/25(月) 23:38:09 ID:tZh/C6BXo.
零戦の飛行性能で特筆すべきは
剛性低下式操縦索。
今では世界標準だけど、零戦が世界初だとか。
これで機体が、体の一部の様に自由自在に操縦できる。
当時は零戦に後ろに付かれたら、絶対振り切るのは
不可能だと言われたとか。
単純に旋回性能を比較したら96式艦上戦闘機が
優ってたらしい。

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056 2013/04/15(月) 21:20:42 ID:H.ferw/SD2
>>54 決戦の蒼空へ 日本戦闘機列伝 渡辺洋二

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057 2013/04/16(火) 23:13:36 ID:N7G5y4GFrU
>剛性低下式操縦索
剛性〜、実は考えられた結果じゃなくて偶然だったりして・・
とにかく軽くすればいいや的な・・

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058 2013/05/04(土) 22:07:00 ID:CD4QxqE2j6
小林よしのり氏が描いた漫画の中で、
セイロン沖海戦を描いた場面があったように思うのですが
見つけられません。
戦争論やゴーマニズム宣言などを
いくつか読み返したのですが・・・。
覚えている方、教えてくれませんか

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059 2013/05/13(月) 15:00:08 ID:0YeslClTLg
>>43
国力の差を認識していたはずの山本五十六の戦略ミスだよな

一発勝負の攻勢(真珠湾にしろ日本の攻勢は詰めが甘い)か、さっさと防衛ラインをマリアナ〜フェリピン線まて下げて蟻地獄みたいに待っていればよかった

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060 2013/05/26(日) 20:31:35 ID:3zzOX1WNJM
それで上手くいって半年ほどは稼げたってしょうがないんだよ。

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061 2013/06/04(火) 10:58:57 ID:86pXBrXmSo
真珠湾では武士道精神みたいなもので
アメリカ軍のインフラを破壊しなかったらしい
石油タンクや工場やいろんな設備を破壊されていたら
アメリカの本格参戦は少なくとも一年は遅れていたと
アメリカの誰かが喋っていたのを聞いたことがある
真偽は知りません

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062 2013/06/04(火) 15:30:09 ID:/L/4UeJxRc
攻撃隊上層部や連合艦隊総司令部からインフラ破壊の二次攻撃を行うべきって意見も出たが
具体的な命令が無かったから南雲司令部が行わなかっただけよ
一次攻撃が大成功に終わった事と、6隻の空母を無事に連れ帰る為に深追いを避けたのが理由だと言われてるね

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063 2013/06/04(火) 21:14:33 ID:RsqeC0q73s
帝国陸海軍は大戦を通じて「出し惜しみ」や
兵器運用の問題が多いな

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064 2013/06/04(火) 21:53:49 ID:WsK6Nir7j2
>>61
もし、第二次攻撃をやっていたらその攻撃目標からして
民間人の被害者がでていた事はまちがいない。

真珠湾では厳密に攻撃抑制をして一人の民間人の犠牲者を出さなかった
事は後々の日米交渉でもひとつの救いであった。

どうせどう転んでもアメリカとの戦争には負けるんだから
せめて卑怯なマネ(宣戦布告前に民間人を殺す)という事を
しなくてすんだので第二次攻撃はやめて正解だったんだよ

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065 2013/06/05(水) 21:40:21 ID:b6Ncp4.7SE
だまし討ちに卑怯なマネってw

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066 2013/06/05(水) 21:52:36 ID:kkR/IUpN6c
>>65
当時は宣戦布告前に攻撃を始めるのは
別に珍しい事じゃなかったんだよ

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067 2013/06/23(日) 14:20:43 ID:hT97GPjUOE
飛行機の性能が少々違っても、戦況の影響の方が重いので桁違いの性能さで無ければ
会敵したときの位置関係でほとんど結果が決まる。

54型を早期に投入して、無線を改善するぐらいは出来たと思う。

1000馬力級で防弾したら機動性が大幅に犠牲。

2000馬力級はインフラが整わず。

無理しないで1500馬力級で対抗しとけばよかった。

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068 2013/06/23(日) 20:27:31 ID:Fpb3fPmEsQ
>>64
一般市民にも死者が68人、負傷者が35人出てるんだが…

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069 2013/06/30(日) 09:17:28 ID:y8HFvzZxwo
>>67
当時の日本に、大馬力のエンジン開発は難しかったんだろうね。


>>68
あの空襲でその程度の被害なら、本当に少なかったと思うよ。
軍の施設内部にも、民間人はいるだろうし。

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070 2013/06/30(日) 12:23:25 ID:6zQgYjSKyI
>>67
歴史の後知恵

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071 2013/06/30(日) 17:38:50 ID:XldZZjj.Gg
第二次攻撃や艦砲射撃なんかやってたら、せっかくほぼ無傷で
残った戦力をすり潰して、緒戦の有利が帳消しになるだけでは?
って事で当初から停泊艦隊だけに攻撃集中したんだと思ってたが‥

どのみち、当時のハワイは世界有数の対水上要塞なんで、あの戦力
で基地に致命的な打撃与えるなんて端から無理だし

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072 2013/07/01(月) 02:53:46 ID:3IRF7nK0mo
>>69

>>67さんは当時の日本には2000馬力のエンジンは無理だったんで
1500馬力のエンジンに集中すればよかったと言いたかったんだろ

個人的な意見だと当時のドイツの工作機械の精度が日本の10倍あったので
ドイツのエンジンはライセンス生産できなかった
だから開戦前に軍が金をだしてドイツから工作機械を輸入させて
高性能エンジン製造用にすればよかったのに。

工作機械が高いといっても駆逐艦つくるよりは安いだろうが
駆逐艦1隻より高精度の工作機械がエンジン2万基つくるのに必要なだけ
あったほうがよかったよね

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073 2013/09/04(水) 01:23:06 ID:wTZdJRtvWw
>>54の画像は陸軍四式戦闘機”疾風”ですよね。ほかのスレでもこれについて
今書き込みしてきたばかりです。

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074 2013/09/04(水) 10:06:08 ID:fBT3CX7Dsk
3枚ペラと短い主翼からして2式単戦ではないかな?

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075 2013/09/04(水) 10:26:07 ID:ctQiK7/H16
>>72
でもさあ、いくら優秀な工作機械を使っても、エンジンプラグや配線・配管が粗末ではどうにもならんよ。
出来上がった製品の測定や管理だって、おそらく遅れていただろうし。
いい材料も入らなかったみたいだし、冶金技術も怪しいもんだ。
パッキンの出来栄えだって良くはない。
気持ちは解るが、不安材料は腐るほどあるから、そういうエンジンが作れたかどうかは疑問だ。
でも良い工作機械を使えば、それだけ悪い因子が一つ減る事はたしかだね。

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076 2013/09/04(水) 11:09:33 ID:wTZdJRtvWw
>>74
失礼いたしました。鍾馗でしたね。スミマセンでした。

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077 2013/09/04(水) 11:40:43 ID:R6qSQU4bUo
>>75
同感です。
工作機械うんぬんよりも、
部品の寸法公差を厳密にし製品に互換性を持たせると言う
マスプロに最も必要な理念が、戦前の工業界には欠落していました。
二個イチ出来ないようでは、全く話にならないのです。
実際、同じゼロ戦でも三菱製と、中島製で部品の互換に問題が出たりしました。
アメリカはともかく、日本に似た状況だったイギリスは、
さすが産業革命の国か、そこら辺の肝が分かっていました。
スピットファイアの製作に最後は、町工場まで動員しましたが、
問題はなかったようです。
そうでなければ時計の様に精密なマーリンエンジンは、作れないでしょう。

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078 2013/09/04(水) 15:48:22 ID:R6qSQU4bUo
>>75
因みに究極のレシプロエンジンと言われ、
堀越二郎をしてマーリンを使用するのは、機体設計者の夢とまで言わせた
ロールスロイス マーリンエンジンですが、
レコードアタック用にフルチューンしたモデルとはいえ、
1937年の時点で、2160馬力を絞り出していました。
日本では昭和12年、九六式艦戦がデビューした年です。

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079 2013/09/04(水) 20:03:59 ID:wTZdJRtvWw
>>78
イギリスをナチスの侵略から救った救世主はこの奇跡のような高性能エンジン
”ロールスロイス製”なわけですが、やはり後に米軍が制作したP-51も最初は
捗々しくなく平凡な戦闘機でしたが後にマーリン・エンジンを搭載した結果
対戦中から戦後にわたっての傑作機に化けたといいます。驚くべき技術の
懐が深いというか、イギリスの技術は戦時中でも新ではいなかったんですね。

時代は変わって現在ではロールスロイスのエンジンは、知るところではボーイング787
のエンジンを川重との共同開発で搭載しています。

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080 2013/09/04(水) 20:30:25 ID:Uj1yNXN/X6
>>77
ニコイチの件は、三八式歩兵銃でも似たような話を聞いた。
バラして他の三八式歩兵銃の部品を組んだら作動しなかったとか。

前の戦争でテストパイロットしてた人の戦記で
鹵獲したアメリカの飛行機は、オイル漏れしないし
一週間ほっといても必ずエンジンがかかったと書いてあった。

「レアメタル」の太平洋戦争
藤井非三四 著 学研マーケティング
ISBN978-4-05-405708-1

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081 2013/09/04(水) 20:38:34 ID:CMWBYqULEg
画像 忘れた

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082 2013/09/04(水) 21:11:05 ID:ctQiK7/H16
「現場でのスリ合わせ」というのは、日本の悪しき習慣かもしれんね。
ヘナチョコな部品同士でも、現場の職人が削ったり磨いたりして、どうにか組み付けてしまう。
なまじ器用だからそれが出来てしまうんだが、それだと互換性がない・・・

以前仕事で、商社の人から面白い話を聞いた。日米ポンプメーカーの比較だ。
高級な渦巻きポンプの羽根車の端面は、それが入っているケーシングとのスキマが重要になるらしい。
非常に狭いスキマで、そういう風に作るには苦労が伴うとの事。

日本は公差を鬼の様に守って部品を削ろうとするが、なかなか上手く出来ない。
そして結局は、組み立て屋が手仕上げで部品を手直しし、ツジツマを合わせて完成させちまう。

米国は超正確な部品作りを、最初っからあきらめる。当然、100.001mmとか100.003mmとかに寸法がバラつく。
それをタナに並べておき、スキマのクリアランスが合致する羽根車とケーシングを選んで合体させる。
もちろん部品のナンバーと実寸法は控えておき、後でメンテ時の部品交換する時に困らない様にしておく。

米国は合理的っちゃあ合理的なんだが、「なるほどな〜」と思った。
ひょっとしたらこれ、戦前もそれぞれこういう思想だったんじゃないか?

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083 2013/09/04(水) 21:16:00 ID:R6qSQU4bUo
削除(by投稿者)

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084 2013/09/04(水) 21:32:52 ID:R6qSQU4bUo
>>82

凄い話です。
目から鱗の合理性です。
コロンブスの卵的な話ですが、
いかにも発想がアメリカ的で、関心します。
こういう寓話を聞くと、戦争勝て無いなーと思います。

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085 2013/09/04(水) 22:09:47 ID:K.WY2orC3E
>>78
堀越二朗をしてマーリンを使用するのは、機体設計者の夢とまで言わせた

先日ジブリの風たちぬを、見て来ましたが、
劇中主人公の回想シーンで、9式単戦に液冷エンジンを、
乗せた様な飛行機が、出てきました。
さすがパヤオ、複線が凄いなー

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086 2013/09/04(水) 22:13:38 ID:CMWBYqULEg
>>82
武士道の影響だろうか、日本人は変に真面目すぎるように思う
戦争が始まると熟練工を徴兵で前線に出して品質低下

撃墜したB29のエンジンを調べたら、ちゃんとしてなければいけない
所はちゃんとしてあったが、どうでもいいような所はそれなりだったらしい。

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087 2013/09/04(水) 22:54:51 ID:wTZdJRtvWw
>>80
ニコイチの件。
それは日本の技術が劣っていたとかの話ではなく、どこにもある事だと思います。
例えば、ナチスドイツでもナチスが実権を握る遥か前から軍用銃として使用していた
銘銃”ルガーP08”でさえも部品単位で隣の銃との共用ができず、一丁づつ
部品番号を刻印して混同を避けています。それだけ精密でデリケートな作り
だったと言えば言えますが。

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088 2013/09/04(水) 23:03:58 ID:R6qSQU4bUo
>>86
ああ其、れ分かる様な気がします。
B29の機体は、ジェラルミンむき出しの無塗装なのですが、
これは下から見上げた場合、光の反射の加減か、
最高の迷彩効果なのだそうです。

じゃ上から見たらどうよ?
これに対する答えは、
敵の戦闘機は、我が高度まで到達出来ない。それを想定する必要は無い
だそうです。
この必要、不必要の高慢な切り分けがとってもアメリカ的です。
何か腹立つけど、

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089 2013/09/04(水) 23:10:14 ID:ctQiK7/H16
ルガーP08か。
昔は実銃と同じ作りのプラモデルがあったんだが、ルガーはめんどくさかった。
部品点数がいっぱいあったなあ。
おまけに部品に塗料で色を塗ると、その分厚くなって、作動に支障をきたしたw
ありゃあ、変な部品加工したら動かんはずだわ。
それに比べてワルサーの簡単だった事!

そしてニコイチの件だが、それが特にひどかったのが日本じゃないかな?
残念ではあるが、どうもそういう気がする。
そしてソ連の兵器は部品同士のスキマがガッパリ付けてあり、ガッタガタで動くイメージが・・・
だから部品の共有も楽々だったという気がするw
あくまでも俺の勝手なイメージだよ。

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090 2013/09/04(水) 23:16:35 ID:oN5vCCtR9w
ルガーP08は大戦が終わったときに米兵が「お土産」として
大量にアメリカに持ち帰ったんだよね。
しかし部隊によっては強制的に海に廃棄させられたケースもあったそうだが
それだけ魅力的な銃だったんだろな

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091 2013/09/04(水) 23:31:19 ID:ctQiK7/H16
>>90
あ、あの銃は人気があったのかい?
やっぱファンの視点は万国共通なんだな!

子供の頃、同じ9mmパラベラム弾を使うのに、なんでルガーとワルサーは初速が違うのか疑問だった。
ルガーは精巧な構造で、ガスを漏れなく使い切るからだというのは後になって解った。
単にカッコイイだけじゃなく、そういう所も好きだったんだが、量産に向かないんじゃあ軍用銃としてはアウトかもしれんね。

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092 2013/09/04(水) 23:51:25 ID:wTZdJRtvWw
>>89
そうですね、ソ連のAK47(現在はロシア軍AK74)のいい加減な作り、その
いい加減さが活路となり、現在に至るまでメンテナンスレスなゲリラ、反政府組織、貧困層民兵などの守護神となり得て、今では世界で最も信頼の
できる小銃として認められています。沼の中にしばらく浸かっていてもとりだして泥を払い、弾丸を装填すれば射撃可能なんて銃ですからね。

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093 2013/09/04(水) 23:53:14 ID:R6qSQU4bUo
>>80
ルガーP08の開発は1902年、原型のボーチャードは19世紀
正に銘銃、大戦時には、すでに骨董品扱いでした。
それ故ワルサーを開発したのです。
大戦時のドイツ兵器には、特殊な物を除いてマスプロ品ならば、
部品の互換性がありました。
驚くべきは、フォッケウルフなど部品をユニット化して、
整備性を高める様な事さえしていました。
38式の原型となった30年式小銃は、1897年の開発ですが、
其れから終戦まで48年部品の互換性がないままでした。
悲しいかな之が現実です。

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094 2013/09/05(木) 00:37:29 ID:ua0YSqA37.
>>91
そういう経緯があり、対戦中の主力拳銃はワルサーP38が主力拳銃となり
PPK/PPなどは警察、国家警察(ゲスタポ)のお抱えとなり、ルガーP08
はナチス党員、ナチス構成員の所持品と限定されました。それ故、連合軍
特に米軍兵士からは”ナチスをやっつけてやった”的なお土産でルガーP08が
大量にアメリカへ持ち帰られたんだとある記述で知りました。

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095 2014/02/06(木) 01:51:58 ID:C8YF5Q8xYA
096 2014/02/17(月) 22:46:50 ID:9p7y1RWlG2
第2次攻撃で港に隣接してた燃料備蓄タンクを破壊しておれば、湾内は火の海に
なり2列縦隊で停泊して、内側で魚雷攻撃を免れてた艦船も残らず壊滅状態にできた
と考えられる。

攻撃は徹底されるべきだった。

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097 2014/03/29(土) 21:33:53 ID:wx6plUIXjU
>>96
もしそうしてれば民間人の犠牲者が大量にでて
後にもっとひどい報復をうけただろう

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098 2014/04/10(木) 17:21:03 ID:zS5iwxMJ6k
戦前から戦中に掛けて、日本の工業製品の水準は残念ながら
低かったのは事実
製品加工機械なども国産では碌なものにならなかった
だから優れた設計思想があってもインフラのレベルが脚を引っ張っていた
エンジンで言えばプラグだけでなく、オイルシールやピストンリング…

現在の中小企業の驚くべき加工技術の高い能力はその反省から実現されたのだと思う
そこが日本の凄いところ

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099 2014/04/11(金) 17:28:15 ID:heD1bowLfY
まあね・・・そもそも旋盤とか工作機械だって、アメリカから輸入しなければ作れなかったし
電気系統の配線だって、絶縁体に使われていたのは油紙を巻いたものだったと言う
プロペラの可変ピッチだって 国内で生産できず 輸入に頼っていた

ただ、一つだけ言わせてもらうと、貧弱なのは【生産設備と環境】 これは国内産業の育成を怠った怠慢
生産技術に関しては この頃から後の技術大国日本の“片鱗”は見せてはいたと思う

よく言われる事だが、日本が戦後 奇跡的な経済成長を見せた理由に
「日本人の勤勉さ」と「手先の器用さ」と、言うものの ちょっとまて、それは戦前も一緒だろう
戦争に負けたから急に日本人は 勤勉になった訳でも無く 手先が器用になった訳でも無い

おそらく、軍事と外地にばかり莫大な金を注ぎ込んで、国内産業の育成をお座なりにした事が致命的
一つ一つ丁寧に作り上げる“工芸”には秀でているものの、短期間に大量に促成し供給する技術には欠けていた
と言う事でしょうか。

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