>>98 >現実的に考えるなら日本も、イギリスの様に一機種に絞り 全力をもってエンジン開発に取り組むべきでした。
それは当時の帝国に当てはめようとするのは相当無理があると思います。
陸軍と海軍は当時犬猿の仲で、同じ天皇配下の僕なのにお互いに強く牽制しあっていました。よって、兵器の開発元もお互い別々に進めており、海軍
は三菱、陸軍は主に中島、三菱、川崎などと異なる。イギリスのように切羽詰まり
国を挙げての開発ではないので、点前勝手に国費を浪費していたんじゃない
かと推察されます。
技術面でも、当時のドイツとの技術面での歴然とした”差”がこのエピソード
で一端が分かると思います。
帝国陸軍は三式戦闘機の開発に成功、ただちに戦局へ送られ実戦配備され
ましたが、この戦闘機『飛燕』はナチスドイツのメッサーシュミットBf-109eのエンジンをそのまま移植してあり、高性能、華々しい戦果を
期待されたが、あまりにこのエンジンが精巧過ぎまた液式冷却という
使い慣れないシステムのためメインテナンスに不備が重なり、実戦へは
殆ど投入されないまま、その残された機体は”五式戦”へと受け渡された。
前にお話しした、魚雷艇用のディーゼルエンジンもそうですが、この当時
からのダイムラーベンツのエンジンは質実剛健で、しかも寸分の精度の誤差をも
許さない精巧さ、高性能さを誇っていたメーカーであったということで、
必ずしも日本製の工業製品が劣っていたという事ではなく、ドイツ製の
ものがあまりにも精巧すぎたということでしょうか。そのご利益で、戦後の
アメリカの工業技術力(兵器開発、宇宙工学、光学から工業素材の開発、
果ては、医学部門中でも整形外科、心臓外科、神経外科、脳外科、精神内科などナチスドイツが強制収容所で培ったバイオの研究成果がそのまま
アメリカの医学界で利用される事となった。これ以上にナチスドイツの
研究成果を横流しで利用したのはソビエトではあったが。
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