たとえば、国富が世界平均の3倍以上となっている現代と違って、
ほぼ完全な自給自足経済を確立させていた江戸時代の日本においても、
社会全体が貧しいなりの贅沢というものがあった。
刀剣の拵えに巧みな彫金を加えたり、
大金をはたいて競り落とした初鰹に舌鼓を打ったりと、
特段潤沢な物量投入があるわけでもない範囲での楽しみがあった。
それが現代では高級車や億ションとなったり、
自家用のクルーズ船やジェット機となったりする。
金もモノもある所には溢れ返っている時代なものだから、
昔の贅沢がチンケに思えてくるほどの豪遊もまた可能となる。
しかし、そんな時代にはそんな時代なりの貧困や飢えがある。
初鰹なんか食えない貧者がいたのと同様に、高級車なんか乗れない庶民がいるから
それが贅沢になるだけであって、あくまで下流があってこその上流なだけである。
どこまでいっても、貧賤に比較しての相対的な富貴でしかないものだから、
その時代時代における過度の贅沢を欲する者がいる以上は、過度の貧窮もまた生ずる。
どんなに巧みな経済政策を凝らそうとも、人々が知足をわきまえぬ以上は、
絶対的に富裕と不可分な貧困の増大による破綻が免れられないこととなる。
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