「債務あれば鈍する」の「鈍する」には、確かに「法律感覚の鈍磨」も含まれる。 
   上記のような法解釈の取り違えもあれば、債権関係の法律処理が眼前に山積するあまり、 
 ほかの分野の法規定やその活用にまでは考えが及ばなくなったりもする。   
 江戸時代の日本には不労罪が厳密にあり、離農逃散には本人だけでなく 
 親類縁者にまで処罰が及ぶその厳しさから、百姓たちは嫌でも働かされた。 
 今でも内心イヤイヤ働いている人間はいるだろうが、それが体裁上から可能だった。 
 その故に、闇雲な勤労意欲を募らせて財産を膨らませ、債務にまみれて身動きが 
 取れなくなるようなことも避けられた。所謂「宵越しの金は持たない」。   
 それにより、守るべき法度とそうでない領域を分別する法律感覚も代々研ぎ澄まされて、 
 軍隊や会社に入っても機敏な仕事をこなすことが可能となった。戦前までの日本兵や、 
 経営陣が戦前世代だった高度成長期までの日本企業が優秀だったのもそのためである。   
 今や江戸時代までの民度の貯金も使い果たして、国に施工されている憲法を 
 国民である自分が守るような義務感にかられているボンクラだらけとなってしまった。 
 それが仕事の質の低下にも直結し、日本経済を低迷させる元凶ともなってしまっているのだから、 
 江戸時代ではなく現代の価値観によってこそ、もはやこのままでいることが済まされない。
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