どんなに心情的に理解できる所があったとしても、こうなった時点で終わりだ。
革命を完遂できる人間がいたとしても、こちらではない。
最後までこうなろうとする衝動を抑えられた者たちのほうだ。
226事件も、帝国海軍のほうは結局はじめから全く陸軍と共闘する気がなく、
陸軍の信用を失墜させるためにわざと事件の計画を知りながらそのまま泳がせて、
事件勃発後にやっと芝浦ふ頭に大艦隊を派遣して威嚇し、犯人を降伏させたという。
これが、陸海軍総力を挙げてのクーデターであれば「革命」として成功し、
昭和天皇も軍部の側に付いただろうが、現実はそうではなかったから
革命としては成功せず、クーデターでありながら「テロ」の域に止まった。
テロとしては史上最大級、これ以上があり得ないぐらいの事件だったが、
その226事件といえどもテロ止まりであった時点で、
本質的には>1や加藤の事件とも変わりない。
テロは革命の域に達していないからテロ止まりなのだし、
革命はテロの域を超えたからこそ革命なのだから、
不完全燃焼の徒花に望みを託して済ますような真似ではいけない。
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