血盟団事件から515、226事件に至る流れを通じて、
日本社会におけるテロリズムの試みは、
赤軍派やオウムのそれをはるかに上回る規模で「完遂」されたし、
当時の大衆たちの多くもまた、その流れを心情としては支持していた。
226事件の主導者となった青年将校が処刑された報道を聞いた者の中には、
彼らの位牌を新たに用意して仏壇に置き、先祖と共に拝む者までもがいたという。
そんな人々の熱狂を、当時の政府も抑圧するのではなく、むしろ利用した。
「あの青年将校たちのように、命を投げ打ってでも国のために働け」という風潮を、
電通が広告する大本営発表によってより盛り上げて、捨て駒同然の庶民からの
徴兵を対外戦争のためにより強化して行く試みに打って出た。
元々は政府への矯正が目的であったにも関わらず、
過剰な暴力行使に打って出た手段の部分だけがまんまと利用され、
怒りの矛先は国内の政財界の権力者から、米英中へと逸らされた。
米英が鬼畜である以前に、自分たち日本政府の所業こそが第一の鬼畜だったに違いないが。
義憤はあってもそれを正しい方向に差し向けるだけの知恵に乏しかった当時の庶民が、
その非道極まる振る舞いに一矢報いてやるようなことは一切できなかった。
今でも戦前と同じ長州閥や電通が健在なのだから、また暴力を賞賛するような風潮が
巻き起こった所で必ずや、どんな欺瞞によってでも怒りの矛先を自分たち以外に逸らさせて、
人々を自分たちの捨て駒に仕立て上げるだろう。いまシラフの状態で聞いてみれば
ふざけた話に思えた所で、全体主義の熱狂の渦の中でも果たしてその正気を保てるかどうか。
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