近代以降の日本ってのは、実は他国以上にもテロに対して脆弱な国である。
何しろ、対テロやテロのエキスパートである武士を廃絶することで成り立っているのだから。
権力者はカケラほどの武の素養もない庄屋や豪商の出身者ばかりとなって惰弱化した一方、
テロを企てる側は武家時代の杵柄にもよって、思いもよらないような手段に打って出る。
だから対イスラム過激派でテロとの戦いが活発化した911以降の欧米社会にも先駆けて、
日本の近代史こそは、高度で巧妙なテロの博覧会ともなり続けて来たのである。
その代表例として、戦後には赤軍派やカルトによるテロがあったし、
イカれた個人によるテロ志向な凶行の試みもまた、少年Aやネオ麦茶の事件まで
その内に入れるのなら、すでに社会的に定着してから久しいといえる。
しかし、それらよりも遥か昔、大戦勃発よりも前の時点ですでに、
テロで世の中を変えようとする試みは226事件として最大級に達成された上で、
それでもなお「テロ」止まりである以上は変わる目処が立たない教訓ともなったのである。
変わるならそれでもいいが、実際問題変わらない。
テロという手段は作法上から、世の中を変えられる立場にない。
だからやめとけというだけで、維新回天の志しまでをも否定するものでは決してない。
返信する