目的を異にする者同士の論議は無💩駄である 偉大なる生存の報告Part344
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特に、前スレのAIまで乱入させての喧嘩的展開で明らかになったこと。
たとえば、生きる目的が「1000年後に至るまで自らの美名を轟かせる」である者と、
「今だけ金だけ自分だけ」な者などは、自分たちの根本的な存在性からの目的が
まったく別個かつ相反的であるために、話し合いで分かり合える余地なども全くない。
一方にとって心からこれが正しいと思うような意見が、もう一方にとっては事実正しくない。
それでもあくまで話し合いで理解を得ようなどとすれば、何が正しいかなどではなく、
相手の意見をいかにして論破否定して、自分の意見を押し付けるかばかりが主眼となる。
アメリカや富裕層の利益ばかりを優先している自民党と、それ以外の野党との討論などが
どこまで行っても平行線止まりな、💩な論議と化したりするのもそういった理由による。
そもそもが、大前提からの目的を同じくしていないような相手との話し合いなどは避け、
同じくする者との建設的な論議だけを選び取ろうとするのが、別に過度に閉鎖的だったり
するわけでもない、有意義な話し合いを望む全ての人々にとっての責務なのである。

たとえば、生きる目的が「1000年後に至るまで自らの美名を轟かせる」である者と、
「今だけ金だけ自分だけ」な者などは、自分たちの根本的な存在性からの目的が
まったく別個かつ相反的であるために、話し合いで分かり合える余地なども全くない。
一方にとって心からこれが正しいと思うような意見が、もう一方にとっては事実正しくない。
それでもあくまで話し合いで理解を得ようなどとすれば、何が正しいかなどではなく、
相手の意見をいかにして論破否定して、自分の意見を押し付けるかばかりが主眼となる。
アメリカや富裕層の利益ばかりを優先している自民党と、それ以外の野党との討論などが
どこまで行っても平行線止まりな、💩な論議と化したりするのもそういった理由による。
そもそもが、大前提からの目的を同じくしていないような相手との話し合いなどは避け、
同じくする者との建設的な論議だけを選び取ろうとするのが、別に過度に閉鎖的だったり
するわけでもない、有意義な話し合いを望む全ての人々にとっての責務なのである。

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俺もまた、ある種の人間が耳障りに感じて怒り狂いかねないような発言をして来たという自覚があるが、
同時にそれが名誉棄損や侮辱にまでは該当しないという自信や、ここのとり板上位での発言を
実力行使で弾圧されて排除されたりまでする筋合いはないという確信もまたある。
明らかに、俺への反目者だからといってそんな真似に及んだりする側にのみ落ち度がある。
言論の自由や表現の自由が保障されている現代の日本語圏において、それらを不当に阻害されている
点については、一方的に加害者側のみが間違っていると断じられるだけの道理があり、
そこへの抵抗を続けることは革命だどうだ以前に、現代社会の公序良俗への貢献のうちとなる。
それがまた、「いくら革命が必要なほど壊乱を極めている時世と雖も、こちらから革命を望むことはない」
という意思表示になっているために、革命で多くの血が流れることになる責任や、自分までもが同様な
再革命などによって無益に淘汰されたりする筋合いがないのを確証する手立てともなっている。
目的が「世のため人のため自分のため」「千年後に至るまでの美名のため」のような公正さを帯びていれば、
「今だけ金だけ自分だけ」な連中への対峙姿勢にかけても、そうやってどこまででも妥当な道筋が
切り拓かれて行く。今だけ金だけ自分だけな側は目を背けがちな、自らの生きる目的が如何といった命題が、
いかに重大であるかを立証する実例ともなっているわけである。
俺もまた、ある種の人間が耳障りに感じて怒り狂いかねないような発言をして来たという自覚があるが、 同時にそれが名誉棄損や侮辱にまでは該当しないという自信や、ここのとり板上位での発言を
実力行使で弾圧されて排除されたりまでする筋合いはないという確信もまたある。
明らかに、俺への反目者だからといってそんな真似に及んだりする側にのみ落ち度がある。
言論の自由や表現の自由が保障されている現代の日本語圏において、それらを不当に阻害されている
点については、一方的に加害者側のみが間違っていると断じられるだけの道理があり、
そこへの抵抗を続けることは革命だどうだ以前に、現代社会の公序良俗への貢献のうちとなる。
それがまた、「いくら革命が必要なほど壊乱を極めている時世と雖も、こちらから革命を望むことはない」
という意思表示になっているために、革命で多くの血が流れることになる責任や、自分までもが同様な
再革命などによって無益に淘汰されたりする筋合いがないのを確証する手立てともなっている。
目的が「世のため人のため自分のため」「千年後に至るまでの美名のため」のような公正さを帯びていれば、
「今だけ金だけ自分だけ」な連中への対峙姿勢にかけても、そうやってどこまででも妥当な道筋が
切り拓かれて行く。今だけ金だけ自分だけな側は目を背けがちな、自らの生きる目的が如何といった命題が、
いかに重大であるかを立証する実例ともなっているわけである。
今の世の中には、できる限りモノを考えずにボーっとしていたいなんていう人間も多い。
何事も頑張って考えたりするだけ無駄、なんにも考えずに他人のスポーツでも観て、
ボールの行く末でも目で追ってるのが一番の楽しみ、などといった部類の人種。
それは、自らの思考回路が今だけ金だけ自分だけに囚われているがために、
>>33に書いたような爽快さとは真逆な、何を考えてもどん詰まりの
苦しみにばかり見舞われるような精神状態にあるからである。
男のほうが言語能力が低い関係で、思考放棄による逃避には成功しやすい一方、
女の場合はそうも行かなくて、頭の中が袋小路に陥った思考で一杯になって焼け付くあまりに
ヒステリーとなり、なんにも考えないでいられている男への憎悪を滾らせたりもする。
悟りの境地とかも、「何も考えない」という意味の無念無想状態と捉えられることが多いが、
旺盛な思考が伴えども、そこに我執がなければ、いくらでも悟りと共なるものであり得る。
思考回路が今だけ金だけ自分だけに囚われているような人間はその内に入えないから、
たとえ思考放棄だけは実現できようとも、それが悟りの内などには入らない。
何事も頑張って考えたりするだけ無駄、なんにも考えずに他人のスポーツでも観て、
ボールの行く末でも目で追ってるのが一番の楽しみ、などといった部類の人種。
それは、自らの思考回路が今だけ金だけ自分だけに囚われているがために、
>>33に書いたような爽快さとは真逆な、何を考えてもどん詰まりの
苦しみにばかり見舞われるような精神状態にあるからである。
男のほうが言語能力が低い関係で、思考放棄による逃避には成功しやすい一方、
女の場合はそうも行かなくて、頭の中が袋小路に陥った思考で一杯になって焼け付くあまりに
ヒステリーとなり、なんにも考えないでいられている男への憎悪を滾らせたりもする。
悟りの境地とかも、「何も考えない」という意味の無念無想状態と捉えられることが多いが、
旺盛な思考が伴えども、そこに我執がなければ、いくらでも悟りと共なるものであり得る。
思考回路が今だけ金だけ自分だけに囚われているような人間はその内に入えないから、
たとえ思考放棄だけは実現できようとも、それが悟りの内などには入らない。
俺も2008年に脱出するまでのカルト洗脳下においては、モノを考えたりすること全般に苦しみを感じ、 生禅野狐禅もいいとこな座禅の真似事で、何も考えないでおく修練などを試みていたものだが、
それで思考の放棄に成功したところで、まったく悟りに至るなんてこともなかったもの。
自らの心が今だけ金だけ自分だけに囚われているから、そこからの論理だてられた思考が、
何もかもどん詰まりに行き着いてしまって自業自得の苦しみに見舞われる、だから自分のために
そこから正して行こうといった、ある種の気づきの中にこそ、苦しみからの真の解放もあったもの。
結果、今のように淀みのない考察をどこまででも深めて行ける状態にも与れているのだけれども。
今だけ金だけ自分だけに囚われているがために、考えること全般がどん詰まりの苦しみに見舞われる
ような人間がそれを読むと、同レベルの思考深度に合わせて話を聞き取ろうとするのが、それだけで
大変な苦しみを招いてしまうために、生理的に受け付けない域の嫌悪を抱かせることともなっている。
「考えが合わない」という以前に、「その深度の思考に付いていけない」という所から始まる相容れなさ。
ここで書いて来た並みに目的を異にする者同士の間には、そういった隔たりもまた遍在しているわけである。
生きる目的が「今だけ金だけ自分だけ」な人間というのは、 まず「世のため人のため自分のため」であるような相手とは話が通じなかった上で、
目的を同じくするような相手ともまた頻繁に「やるかやられるか」の不倶戴天化する
(同じキリスト教徒でいながら世界一殺し合って来たカトリックとプロテスタントのように)
のが避けられない宿命にあるため、凡そ世界の3/4以上の相手とは話が通じなくなる。
それ故に、今だけ金だけ自分だけをカルト信仰によってまで増強させている
キリスト教徒というのも、今の地球社会の1/4程度の人口に留まっている上に、
その外側には、共産国としての中国であれ、ヒンズー教国としてのインドであれ、
服従主義信仰のイスラム圏であれ、まだ辛うじて仏教国である日本や東南アジアであれ、
今だけ金だけ自分だけを少なからず否定、禁止してかかるような思想信教を帯びた世界が広がっている。
国を挙げてキリスト教に帰依している状態にある韓国の人間が、アメリカ人などとも諜報面から
結託できるほど昵懇な関係にある一方、キリスト教国化だけは拒んだ状態にある今の日本人が、
どんなに米欧文化にかぶれて信奉しようとも、そこまでもの親交は拒まれたままでいるのを見ても
わかるとおり、キリスト教徒のほうも異教徒に対して、決して完全に心を開いたりすることがない。
日本人のほうもまた、何もかもを今だけ金だけ自分だけに終始させようとする純度100%の キリスト教圏の文化があまりにもつまらなさ過ぎるために、結局は欧米文化に多少以上の改変を
加えた上での自製のほうが本位となり、昨今はナーロッパなどと呼ばれる欧風異世界を舞台にした
アニメなどを、逆に欧米含む海外へと輸出して人気を博するような事態にまで至っているぐらいには、
結局のところ純然たるキリスト教圏文化などが生理的に受け付けられないままに終わっている。
これと同等以上の精神面からの断絶が、今だけ金だけ自分だけを信仰によってまで開き直って
いるキリスト教徒やユダヤ教徒と、それ以外の文化信教圏の人々との間には遍在していて、
なおかつこれ以上、キリスト教徒側が世界における自分たちの勢力比率を増そうなどと
しようとも、それが果たせることは永遠にない。今だけ金だけ自分だけな人種というのは、
原理的に、世界の1/4以上の勢力たり得てはならない宿命にあるが故に、そうでのみあり続ける。
自由主義だ民主主義だ資本主義だといった、無宗教的なイデオロギーによって、なんとか
自分たちの価値観を全世界に広めようとしたところで、それもまた自分たちがキリスト教徒で
あるままに、心の底から全世界の人々と打ち解けられるような成果を挙げられることはない。
自分たちの生きる目的が根本からそれを不能ならしめているのだから、決して実現されることがない。
今の日本などでも、別に「世のため人のため自分のため」などという仁慈の心を確か
ならしめているような人間までもがそんなに多いわけではないし、近代以降の度重なる
欧米かぶれ洗脳によって、さような浄心を徹底破壊されて来たのにも違いないのだが。
さりとて、「今だけ金だけ自分だけ」を卑しくて哀れで惨めな人としての状態であると
みなす価値観までをも完全に棄て去っているわけではないし、すでに念仏信仰などを通じて、
さような悪心と善心との、不味い食べ物と美味い食べ物なみな、快不快からの根本的格差を
「理屈ではない実感」として思い知っている以上は、それ以上の退転なども決してあり得ない。
世間から、世のため人のため自分のためを称揚するような良質な文化が覆い隠されている上に、
なおかつキリスト教徒やユダヤ教徒ほどには今だけ金だけ自分だけを開き直れることもないのが、
現代日本人を、思想信条面からの根無し草状態に追いやることで苦しめる原因にもなっている。
未だに能や歌舞伎なみの伝統文化には親しめないでいるうえに、キリスト教徒どころか、
平均的な現代日本人ほどにも今だけ金だけ自分だけに順応できないでいる否定派氏などもまた、
それ故に心の落ち着くべき場所が見つからなくて、死への恐怖ばかりに苛まれる状態にある。
どうせまともな日本人なら、今だけ金だけ自分だけの内などに真の幸福を見出せることは
ないのだし、あとは昔ながらの福徳を見直して受け入れ直して行くべきのみなのである。
ならしめているような人間までもがそんなに多いわけではないし、近代以降の度重なる
欧米かぶれ洗脳によって、さような浄心を徹底破壊されて来たのにも違いないのだが。
さりとて、「今だけ金だけ自分だけ」を卑しくて哀れで惨めな人としての状態であると
みなす価値観までをも完全に棄て去っているわけではないし、すでに念仏信仰などを通じて、
さような悪心と善心との、不味い食べ物と美味い食べ物なみな、快不快からの根本的格差を
「理屈ではない実感」として思い知っている以上は、それ以上の退転なども決してあり得ない。
世間から、世のため人のため自分のためを称揚するような良質な文化が覆い隠されている上に、
なおかつキリスト教徒やユダヤ教徒ほどには今だけ金だけ自分だけを開き直れることもないのが、
現代日本人を、思想信条面からの根無し草状態に追いやることで苦しめる原因にもなっている。
未だに能や歌舞伎なみの伝統文化には親しめないでいるうえに、キリスト教徒どころか、
平均的な現代日本人ほどにも今だけ金だけ自分だけに順応できないでいる否定派氏などもまた、
それ故に心の落ち着くべき場所が見つからなくて、死への恐怖ばかりに苛まれる状態にある。
どうせまともな日本人なら、今だけ金だけ自分だけの内などに真の幸福を見出せることは
ないのだし、あとは昔ながらの福徳を見直して受け入れ直して行くべきのみなのである。
どんなに頑張って長生きしても100年やそこらの寿命止まりで、 その前にも後にも永遠の死、不生のみがある人としてこの世に
生を受けながら、心中が「今だけ金だけ自分だけ」であったりするのは、
人として最大級の苦しみが約束された生き様であるといっても過言ではない。
そういった人種を悪人と見なすのであれば、当然のこととして
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」でもあろう。
恒久普遍の法則の提示として、紛れもなく仏説に相当する域の説話だといえる。
だから義務感からではなく、心の底からの欲求によって今だけ金だけ自分だけを去り、
世のため人のため自分のために生きんとするような大乗の誓いを立てるのは、
ただそれだけでもはや、心中における厭離穢土欣求浄土の達成ともなる。
大多数が念仏に帰依して来た日本人などは、そこまで自覚的にではなくとも、
そういった情操を生まれ育ちによって自然と植え付けられている人間が未だ多く、
ゆえに西洋かぶれなどによって、今だけ金だけ自分だけな価値観を新たに
植え付けられたりすることにも不快感を抱き、カルト信者ほどにはそれを開き直れない。
低脳化、愚民化と共にそれを強いようとも、大乗の叡智それ自体が人として最大級の
福徳を人々に提供して来ているために、それがまた大いなる苦しみを人々にもたらすのみ。
日米合同委員会の言いなりにだけなってたら、消費者も米農家も誰も得しないような
結果に陥っている今のコメ農政なみに、何もかもが0点以下な落第であるのみとなる。
今だけ金だけ自分だけの拡散が、この世に不幸しかもたらさない時節極まれり、というわけである。
誰しもつまらないよりは面白い、苦しいよりは楽しいを好き好む、 それはあたかも水が上から下に落ちるが如く、当たり前かつ抗いがたい法則なのだが。
だからといって、誰しもが最大限に楽しくて面白いものばかりを求めるとも限らない。
たとえば、すでに自らが老い衰えていて、なおかつ若い衆に跡目を譲る気もないような
老害系の年寄りなどからすれば、若者や子供の登場人物が活躍する映像作品などが、
どんなに底抜けに面白かろうとも、むしろ面白ければ面白いほど嫌悪感を抱かされることとなる。
主要スタッフが高齢者で占められている今の日本のテレビ局なども、
そのような理由で面白い番組ほど主要な放映対象から排除するような事態に陥ってるし、
またそこにノコノコと付いて行ってるような高齢の視聴者も一定数いる。
面白くないものが面白くないが故にその牙城を堅固化している典型例だといえる。
今の米欧の権力者層あたりも、ことごとくエプスタイン文書に載ってるぐらいには、
悪の権化として討伐される所ぐらいにしか面白味のない人種の集まりであるわけだが、
同時に世界最大級に莫大な富や権益を牛耳っている界隈でもあるために、その保守にも
全力が尽くされて来た。それこそ、面白くないものがあえて守られている極大例である。
「小人罪なし、玉を懐いて罪あり(左伝・桓公一〇年)」で、
それはおおむね富貴に与るに値しないような人種が、それを得ている所で生ずる現象。
「(権力の)内小人にして外君子(易経・天地否)」こそは、つまらなさの極みなのであり、
それ故に、世の中も水が上から下に落ちるなみに、そんなばかりでもいられないのである。
300万ページ以上もあるというエプスタイン文書の内容発覚度合いによっては、 アメリカがまた誤魔化し目的で他国への侵攻を激化させかねないといわれてるが、
これもまたとても、とてもつまらないゴミクズの妄動以外の何物でもない。
俺も祖父譲りの昔からのプチミリオタで、旧日本軍縛りなどにも囚われることなく、
米軍の最新鋭装備などにも、それだけを見れば普通に格好いいものとして憧れたりして
来たものだが、それらもまた国を挙げての最低の痴態を晒すための具材にばかりされているのみ。
宮本武蔵や柳生厳包が愛用していたと伝わる木刀などが今でも保存、伝承されているのだが、
本物だったところで、その辺の土産物屋でも売ってそうなただの棒切れである。それでも、
彼らが残した事績の勇壮さを想えば、最新最強の米軍兵器などよりも格好よく見えてくる。
見てくれだけが格好いいものの上に、より本質的な面から格好いいものがあるし、
面白い、楽しいといったことにかけてもまた然り。偉大な目的のための手段であれば、
棒切れ一つでも格好いいし、逆なら最強兵装の軍隊でもダサい。今は後者のような事物で
世の中が溢れ返っているからといって、人間の楽しみというもの全般が頭打ちと化した飽食状態
のように思われている節があるが、何のことはない、本当に面白いものに乏しいだけのことである。
くだらない目的しかない立場から、手段としての棒切れなんかだけを見ても当然見つかることはなく。
生きる目的のような根源の部分から高潔な人間は、棒切れを振るだけでも人生楽しいが、 そこが今だけ金だけ自分だけなら、巨万の富や権力を得て、子供の肉を食べても飽き足らない。
ゆえに両者の間では、生きていること自体を含む、何かを楽しむことにかけての
圧倒的格差が対等な話し合い、付き合いを不全化させてしまうといった問題もまた生ずる。
高潔な側は、今金自分な側にとっては全くつまらない、くだらないとしか思えないような、
低刺激で苦難すら帯びているような取り組みだけでも最大級に人生を楽しむ。そんな姿を
見せられれば見せられるほど、今金自分な側はストレスを溜め込んで、より不快を募らせるのみ。
逆に、今金自分な奴らが「これこそが真の楽しみ」と見なすような放辟邪侈の類いは、
高潔な側には未熟者向けの幼稚な趣味の貪りとしか思われず、ただ遠ざけたいのみとなる。
常人とヤク中では、平常時の苦悩度や、それを紛らわせるために必要な薬物刺激などが
段違いであるのと同じこと。もはや話が通じないどころか、傍らに寄り添うだけでも
気に障るような危険が伴う間柄であり、現代などはそういった域の人間同士の
精神面からの隔絶と、にもかかわらずの無防備な併存が野放しにされたままであるが故に、
匿名ネットの悪口雑言なども溢れ返るほど、いがみ合いもまた最大級に激化しているのである。
昨晩は、自分よりも少し年上の氷河期世代で、 今だと参政党あたりを支持してそうな陰謀論好きの男と話をする夢を見たよ。
本人の愛読書だという徳間書店系等の陰謀論書籍を見て、
「こんなの読んだって何にもなりませんよ」と指摘しながら、
わが祖父を含む玄峰老師一派の、昭和時代の水面下での闇の勢力との闘いなどを、
史実通りの内容の伝記などと共に紹介するのだけれども、結局はそれらも、
陰謀論本位な彼の思考回路のセットに組み込まれてしまい、正しく理解されることがない。
土建業が昔、権力争いで重大な意味合いを持ち合わせていたのを知らされても、
「土建が秘密結社への橋渡しだったのか」とかおかしな解釈の仕方をする。
悪だくみで世の中に危害を加えながら、自分たちがいい思いをしてやろうと
するような鼠賊連中への糾弾意識を持ち合わせている点は同じでも、
それが所謂「陰謀論」のような、わざとあることないことごちゃ混ぜにすることで
信憑性が無効化されている知見などに落としこまれてしまっているようだと、
それが共に世直しに臨んで行くこともできなくなる差し障りの原因になってしまう。
氷河期世代同士もそういった障りがあるせいで、人口は多いのに結託が出来ず、
自分たちを迫害して来た連中への抵抗が覚束ないままでいたりしてな。
話が通じないのは、必ずしも目的を異にする場合に限らないという実例でもある。
人間たるもの、何もかもにかけて上達の域に達すれば達するほど、 驕慢のつもりでもないような、ただの自己紹介目的に至るまで、
自分語り全般が自画自賛のように聞こえて忌まわしがられる頻度が増える。
日本のテレビやラジオのトーク番組で、自分語りで人気を博している芸能人などは、
アメリカが「日本人にはこんな止まりであって欲しい」という意図によって、
某カルト仏教団体などに徴発させているような生粋の愚か者揃いであるために、
自分語りがそのまま道化としての嘲笑対象になるのを有効活用している場合が多い。
人一倍すぐれた人間ほど、それとは真逆の現象に見舞われ、
目上の相手に教えを乞う体裁でいるわけでもないような相手に対してまで、
自分語りのような真似に及ぶのが、ただそれだけで嫉妬からの嫌悪感を催される原因になる。
そういう人間ほど、自らを低く見せておこうとする謙譲が処世の要ともなる。
元から低劣な人間がさらに自らを低からしめるのは、ゴマすりの媚び諂い的な卑しさに
直結するために、それが自己嫌悪の原因となって嫌がられたりもするわけだけれども。
達者にとっての謙譲は、無益な憎悪を人に抱せないための防衛手段たるものである。
より最善であるのは、達者としての価値が認められて、謙譲での防衛に専らたるまでもなく、
教えを乞いたがるような相手との付き合いが捗ることのほうだけれども、乱世の達者ほど
さような機会にも恵まれず、不当な評価のままに置かれる場合が多いために、ただ低く
見られるのを受け入れるだけでなく、自ら進んで低からしめるぐらいでないといけない。
「邦に道無ければ、行を危くし言は孫う(憲問第十四・四)」も要はそういう意味なのである。
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スレッドタイトル:目的を異にする者同士の論議は無💩駄である