走ると前しか見えない


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001 2020/02/14(金) 02:44:52 ID:g40Ri2LiLI
自分の足で走るのでも、自転車でもバイクでも車でも、
速く走れば走るほど、流れ過ぎて行く景色を目が捉えきれなくなって
視野が狭まり、最後には前の一点しか見えなくなる。

この感覚に麻薬的な快楽を催すのが、いわゆる「スピード狂」であり、
レーシングドライバーなども技術が伴っているだけでみんなそうだから、
シューマッハも専門外のスキーで無理をして事故を起こし、
半分帰らぬ人となってしまったのである。

この、スピード狂に準ずるような性向を帯びている人間の、昨今なんと多いこと。
ただ「走る」という行為に限らず、なんらかの活動に勤しんでいること、
仕事でも遊びでもなんでもいいから一意的な行動に没頭することで
視野が狭窄化し、周囲が見えなくなることに惑溺する者たち。

社会的にそういう人間が多数化してしまっているのは、
それだけ目を背けたい現実がそこら中に溢れ返っているからでもあろう。
かといって現実逃避のために何かに没頭しているのでは、それがたとえ
よく稼げる仕事であろうとも、世の中の改善に与することはない。

己が性分がスピード狂であることから脱却し、
しっかりと立ち止まって深い呼吸を心がけることで、
四方八方全体を見渡せる超視覚的な感性を磨き上げることこそが、
悲惨な現実を今以上に建て直す、唯一の手立てとなるのである。

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002 2020/02/14(金) 02:55:27 ID:vKtZNAWnwo
そんなことないよ?
周りもみるけど?

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003 2020/02/14(金) 03:00:51 ID:dUfanBge2I
光速を超えれば自分の裏側が前方に見えるようになるぞ、
自分の時間の流れも早くなるほどゆっくりになる
光速を超えろ

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004 2020/02/14(金) 03:14:28 ID:wIQx319AVQ
後ろが見えていない、周囲のものが見えていないドライバーは総じてヘタクソ
ヘタクソというか速度に応じた反応のアクセラレータが効かない適応音痴
つまりやっぱりヘタクソ
のほほんと歩いてると見逃すようなことを運転中の方が逆に察知出来る事もある

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005 2020/02/14(金) 03:21:37 ID:MNwEOMGdN6
250越えると明らかに視界狭まるよね

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006 2020/02/14(金) 03:21:55 ID:THUtSsEFDo
スマホは前すら見ない

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007 2020/02/14(金) 03:25:42 ID:g40Ri2LiLI
[YouTubeで再生]
>>2 >>4
常人が、本当に前以外全く見てられなくなるのは、時速250kmとか300kmとかの領域。
制限速度120km/hな日本の高速道でもそんな体験はできない(してはいけない)。

ただ、100km/hとか60km/hとかでも見えなくなるものは見えなくなるし、
5km/h未満で歩いているか止まっているかでも、景色は様変わりする。

ADHD系の性向を帯びている人間は、止まった状態だと周囲の視覚情報が多すぎて
脳が処理しきれなくなって混乱するから、ある程度動いていたほうが情報が減って
うまく処理できるということもあるだろう。これがスピード狂に至る一因でもあろうか。
認知症の年寄りが徘徊をしたがったりするのも同じ理由だと思われる。

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008 2020/02/14(金) 04:04:08 ID:m8Eq/vuNJA
全てを忘れてのめり込む、没頭するという性癖をスピード狂に例えたのは
精神病理学としてとても興味深く面白いです。ご自身の説でしょうか。

スピード狂はともかく、一時期の過集中は必要な面、良い面もあります。
目的達成のための修練や、高い創造性・芸術性の獲得など
若い時期に自分の人生を切り開く助けになったケースも多いと思いますよ。

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009 2020/02/14(金) 04:10:04 ID:rURUeuNLZA
「視野狭窄」で済むものを長々と。

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010 2020/02/14(金) 08:50:34 ID:g40Ri2LiLI
>>9
視野狭窄が多動によってもたらされるという説話。
それが現実逃避の手段にされているという問題の提起。
長文になっただけの情報量はまた別にある。

>>8
既製の説にも似たものがあるかも知れないが、
近ごろ諸々の実地経験と共に、自分で思いついた説ではある。

ADHDや認知症の一部の症状として、
視覚情報を処理する後頭葉が萎縮し、目に入って来るもののほとんどを
理解することができなくなる、そのため活発な活動によって視界に
入って来るものを限定化することで、情報処理を円滑化しようとする。

ということがあるのではないかと。
明確な精神障害とまで言えない範囲で、そういう傾向がある人間もまたいて、
物事に没頭する能力がある種の才能として開花する場合などもある。

ただ、そのような症状に苦しんでいる人間も多いし、
現実逃避の手段として悪用することで人の迷惑を顧みない人間などもいる。
ブラック企業などは、特にそういう社員や上司で回されている場合が多いように思う。

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011 2020/02/14(金) 09:03:35 ID:Nx3lQ5oeOc
すげー恣意的考察だな。明明後日の方向すぎて顎がはずれて直らんわw

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012 2020/02/14(金) 09:26:18 ID:rURUeuNLZA
>>10
「思う」のは勝手だけど、なんの数値的・科学的データも無く「思う」一本で強弁されても意味無い。
自分のアイディアを素晴らしいものと思うのは誰にでもある事だが、それを外部にアウトプットする前に考えを補強するための行動をしたらどうだい。
それともそれは面倒くさいから色々言い訳してやらない方向なのかい。

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013 2020/02/14(金) 09:55:42 ID:m8Eq/vuNJA
>>現実逃避の手段として悪用することで人の迷惑を顧みない人間などもいる。
>>ブラック企業などは、特にそういう社員や上司で回されている場合が多いように思う。

これは客観的な判断が難しいかも知れませんね。
私は、その個人の没頭の対象がひとつの基準になるのではないかと思います。

例えば没頭の対象が、没頭させることを目的に予め用意されている商業的な何か、
芸能人やスポーツチームのファン、ゲーム、既存のホビー、もろもろのエンターテインメント、等々。
そういうものに過度に熱中する、一過性でなく長期に渡って思考と生活の大半を占める人。
上のブラック企業のくだりも、その類型だと思います。

こういう人たちが実際増えたかどうかは分かりませんが、
まあ、良い悪いは別にして現代社会では多数派なのではないかと思っています。

それとは別に、一時期な没頭や過集中によってより良き人生を切り開く人は対象が創造的です。
また対象が既存のものであっても、自己の基準、独自の取り組みをするタイプであると思います。

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014 2020/02/14(金) 10:23:06 ID:Nx3lQ5oeOc
人間が動き回る程度の速度でもたらされるのは狭窄型集中ではなくむしろ情報が増える事による拡散。
そもそもドライバー狭窄は、視覚野で処理仕切れないほどの景色の流れと、死ぬかもしれないという恐怖によってもたらされる集中。

多動性とは拡散思考が体現されたもので、決して情報を減らすための手段ではない。
ただ体を動かすことによって、情報をふやしそれの処理のために集中力がたかまると言うことはあり得る。

基本的に人間は集中、特に没頭型集中をしている方が幸福だし健全。瞑想が正にその方の集中。
自分の体制感覚や感情、周囲の環境に敏感に気づく、気づきの瞑想、拡散集中というのもあるかもしれないが、
今の人間は狭窄型集中ではなく、むしろ何事にも集中を持続させることが出来ない拡散状態にあるのが、不幸の原因。
情報過多で何時でも何でも出来て、常に知らせが来るスマホなどの影響が強い。
常にもっと面白いもの楽しいことブームを索敵しまくり、時間を効率的に使おうとした結果、集中をもたらすリラックスすらできず、
味も分からないままいろんな食材を食い散らかしてる状態。これは拡散状態という。

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015 2020/02/14(金) 10:49:41 ID:g40Ri2LiLI
>>13
没頭全般の話ではなく、とにかく活動を活発化させる系の没頭に限っての話なんだよ。

たとえば、一つの仕事をしっかりと丹念にこなすことと、
できる限り多くの仕事を手際よく短時間でこなすことの違い。
前者は職人、後者はサラリーマンなどに多いが、ここで取り扱うべきなのは後者。

前者も前者で、アスペルガー症候群的な社会不適合性が問題になることがあるが、
これは動きすぎではなく、ヒトトコロに止まり過ぎているが故に起こる問題。
いまこのスレで論じようとしていた問題とは真逆の問題だし、
非モテのオタク系に多い症状なので問題視もすでに年季が入っている。

没頭癖によって特殊な才能を開花させるのは主にこのアスペルガー系であって、
ADHD系の没頭が才能に結実するのとはまた違う。

ADHD系の天才でも、フェルプスとかそれなりに実例はあるが、
アスペルガー系と比べると少ない。なぜかというと、体育会系のスポーツマンとか
有能なビジネスマンとかが、多動による没頭の能力者であることを
「健常者の能力者」として普通に評価されている場合が多いから。

アスペルガー系の没頭を精神障害ゆえのものと診るのなら、
ADHD系の没頭もまた同様に扱うべきなのだが、実際はそうなってはいない。
ここが不公平なところで、ADHD系に十分な病識を持たせていないことが、
傍若無人による社会への迷惑を肥大化させて、諸々の軋轢を生んでいるように思う。

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016 2020/02/14(金) 11:01:53 ID:g40Ri2LiLI
>>14
おたくが言う「ドライバー狭窄」こそをADHDの視野狭窄化と比肩させているのであって、
ただ速度が増すだけ=自分が走っているのではなく乗せてもらっている状態なら、
車窓から見える景色などが膨大な情報量となるのも確かなことだ。

で、おたくが瞑想などで得られるとした没頭型集中は、
ADHDよりもむしろアスペルガー系の人間のほうが得意とするもの。
そこで「動かなすぎ」の弊害を帯びることなく集中力を高められたなら、
それこそ四方八方全空間に渡って注意力を働かせられる能力をも得られるわけだが、
ドライバー狭窄的な視野狭窄こそを好んでいるような人間は、
むしろその境地から遠ざかり続けている状態にあるといえる。

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017 2020/02/14(金) 11:17:54 ID:g40Ri2LiLI
[YouTubeで再生]
俺も、日本各地とかアメリカとかインドとかシリアとかヨルダンとか、
人並み程度に旅行に行ったことはあるが(全て誘われてだが)、
故郷から遠く離れた、言語も人種も全く異なる国での移動中に見る
車窓からの風景には、一種の憂鬱を抱かされることがあるんだよな。

おそらく、一生ふれ合うことも話すこともない万億の人や物。
全てと直接関わり合うのは物量的に一生無理なこと。
そんなに天文学的な情報量を脳内だけで推測混じりに処理して行くのが、
えも言われぬ無力感を抱かせるために、自分から好んで旅行することはない。

人間、自分の家や部屋一つだって、ホコリや傷汚れ一つなく保っておくことなんか
まずできないのに、その外側に市区町村、都道府県、州省各国と限りのない
入れ子構造が広がっているのだから、諦めるしかないことの何と多すぎること。

その「諦め」は、自室で座っているだけでもできないことではないが、
人によっては旅行などの受動的行動に頼り、さらにはドライバー狭窄を招くような
能動的行動にまで頼ろうとする。それでも弊害がないのなら別に構わないが、
コストがかかり過ぎて世の中のお荷物になるのだけはいただけない。

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018 2020/02/14(金) 11:33:08 ID:3sVZ1ZJ3TI
スピードと言ってもたかが300キロ程度。
30歳そこそこの若者が1機100億円の戦闘機をマッハを大きく超えた速度で自由に大空を駆け回ってる姿を見て、
車のレースに興味が無くなったわ・・・

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019 2020/02/14(金) 12:03:10 ID:j6Ag6m1Dcg
>>1はアスペルガーなの?
なんかリア充に対する嫉妬心を感じる。

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020 2020/02/14(金) 13:07:45 ID:g40Ri2LiLI
ここまでの遠回しな言い分だけで、
「リア充が糾弾対象なのかな?」と思ってしまうんだ?

おお、そなたこそはそれそのもの(Ding an sich

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021 2020/02/14(金) 13:14:59 ID:lSZSZTiEfo
テレビニュース見ながら
針に糸を通すなんて
オレにはちょっと出来ない仕事だな。

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022 2020/02/14(金) 13:33:59 ID:Wzm5OndaXs
>>20
はい、よく分かりました。

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023 2020/02/14(金) 14:00:37 ID:FBX07AZDoc
>>1
200キロ以上の乗り物運転した事ない?
>>14じゃないけど物理的な視野は狭い。
個人差はあるだろうけど周りが停止、迫ってくる。
でも頭は冷え切って周囲を支配している気になる。
何となく例えが自分とは合わないと思った。

返信する

024 2020/02/14(金) 18:48:02 ID:Nx3lQ5oeOc
まず集中の種類を分類しよう。

・没頭型集中
・レーサー型狂酔集中(狂酔集中)
・アスペルガー型集中
・ADHD型多動による情報制限型集中(ADHD型集中)
・ビジネスマン型多目的多方向性集中(ビジネスマン型集中)


笠地蔵は、没頭型≒狂酔集中≒ADHD型集中とくくるか関連付けるから同意が得られない。
レーサー型の狂酔集中は完全にアドレナリンによる集中で、リラックス系の没頭型集中とは異なり恐らく長時間持たないだろう。
そもそも違う系統のように思えるが、集中という意味で同じであったとしても、背後にある性格傾向が全く違うだろう。
リスク嗜好が強く、痛みや不安に対する耐性が強い人間がそう云うところへ行く。

ADHD型集中とは完全にあんたの仮説であって同意しかねる。ドライバーと違って、多動だと視野も上下左右に動くし体性感覚も増えるので明らかに情報が増えると思われる。だから多動で情報を制限するという考えには納得できない。

ビジネスマン型集中とは、短期集中と索敵を繰り返しているのでこれは長期的にはメンタルを疲弊させる。
元々頭が相当良くないとこれは出来ないが、ビジネスマン型集中とはほぼ拡散と思っていい。 
集中の対義語は拡散

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026 2020/02/15(土) 05:47:01 ID:FVIJOvdcuA
>>24
俺が10で述べた「没頭」という言葉を
おたくが「静的な没頭」と混同しているだけで、初めからその気はない。

・静的没頭=瞑想型、職人型、アスペルガー型(病的な沈鬱を伴う場合)、etc.
・動的没頭=ADHD型、スピード狂型、体育会系型、ビジネスマン型、etc.

要はこの二つに分類されるわけで、
ADHD特有の視点が定まらなくて視覚的理解を損ない迷妄に陥る症状を、
走行的行動による視野狭窄によって制限し、精神的な安定を得る。

そういう動的な没頭が静的没頭とはまた別のものとしてあり、
今の精神科でもADHDや躁と診断されるほど重度な場合には問題視されるが、
アスペルガー的な静的没頭と比べると問題視される率が低い。

筒井康隆の、「悟りとは精神病である」という決めつけあたりが、
特に現代社会における静的没頭への冷遇と、それと表裏一体な
動的没頭への優遇を端的に表していると言ってもいいかも知れない。
人間が本来あるべき健全な姿は動的没頭であって、静的没頭はあぶれ者、
今でいう「オタク系」の吹き溜まりとなる必要悪に過ぎぬ、というな。

返信する

027 2020/02/15(土) 06:05:54 ID:FVIJOvdcuA
たとえば、球技の観戦とかパチンコとかは、
自分自身は椅子に座ったきりで動きもしないが、
「球」という注目対象を延々と追い続けるから、
それがADHD系にとっては視点が定まるが故の安心材料になる。
こういうことに没頭するのも一種の「動的没頭」だといえる。

お寺での座禅なんかは、曹洞宗だと今でも何もない壁に向かって座る。
見て追って楽しむものなど何もない所で悟りを得ようとしているのだから、
これは「静的没頭」ないしその修練であるといえる。

スポーツ観戦やパチンコの他にも、テレビとか映画とかいくらでも
動的没頭を助成してくれるものがある時代、なおかつ仕事にしたって
商事みたいな動的没頭が有効手段になるものが多くあるというのに、
どうして静的没頭なぞをあえて試みたりする必要があるのか?

そんなものは、それしかできない落伍者たちの慰み者に過ぎん」
というわけで、日本社会も職人や理系を冷遇し、ビジネスマンや
体育会系ばかりを厚遇して、今のような体たらくに至るわけである。

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028 2020/02/15(土) 10:20:38 ID:6lkv0e41/o
>>26
その静的没頭と動的没頭の出典は?
まさかお前の勝手な分類じゃないよな?

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030 2020/02/15(土) 10:57:59 ID:6lkv0e41/o
一応精神科とか心理学の世界では
集中の先に没頭があり、集中の反対は拡散思考という。
ADHDはその拡散思考の最たるもので、間違っても没頭などとは言わない。

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031 2020/02/15(土) 10:58:44 ID:FVIJOvdcuA
じゃあ、スポーツ観戦やパチンコに興じているような連中が、
別に物事に没頭しているわけではないと言うのか?

そういう、西洋の精神医学に基づいて病的だとは認められていない
熱狂状態にも実は病的な側面があるのではないか?という提唱だから、
既存の精神医学にもあえて擦り合わせて論じているわけだ。

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032 2020/02/15(土) 11:08:37 ID:6lkv0e41/o
まぁな。 集中の没頭の、神経科学的脳科学的明白な定義があるのかと言われれば無いし無理だろう。
ADHDや狂人も瞬発的な集中をすることはあるし、没頭もあるだろうな。
ただ議論する上では、こういう定義は分かってもらってないと分かりにくい。

ADHDや多動性、マルチタスクは拡散思考と言う。
没頭とはフロー状態の集中の事を言って、興奮とか快感とかとは違う。
パチンコや、スポーツ観戦がただ流れていく時間を享受しているとは言えないだろう。

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033 2020/02/15(土) 11:32:48 ID:FVIJOvdcuA
俺がここで「動的没頭」という新概念をあえて提唱してみたのは、
それらしき症状を帯びている連中が世の中にあまりにも多い上に、
自分ではよくわからない面もあったからだ。

実際にメジャーリーグやJリーグの直接観戦などもしてみた上で、
ああいうことに熱狂する心持ちもある程度はわかるが、
何億何十億と稼げるトッププレイヤーや巨大なスタジアムを
多数保全してやれるほど、あればかりに没頭する気持ちはわからない。
そんな人間が世の中の多数派にまで上っていることも。

それは結局、ADHD気味な人間にとっての「癒し」になるからなのではないかと。

止まっていたらグルグル目が回って訳も分からなくなる後頭葉疾患を
帯びているから、とにかく自分が動くのでも、誰かが動いている姿を
見続けるのでもいいから、とにかく動的な事物に興じていたい。

それが今の世の中の経済活動の多くを占めることともなっているから、
病気扱いなどにはされず、有用な健常者の雛形扱いにまでされている。

利権もあるから、おいそれと病気扱いなどしてはいけない傾向は、
太古の昔から利権頼みである洋学が覆せる領域の話でもないな。

返信する

034 2020/02/16(日) 10:31:46 ID:omg8FnvGFU
要は、こういうことであってだ。

静的没頭も動的没頭も、行き過ぎて病的だと
明確にアスペルガー症候群(1)やADHD(5)などと診断されるから、
現時点であえて問題提起すべき対象には当たらない。

ただ、世の中には(1)や(5)とまではいかない(2)や(4)、
嗜好性が静的没頭や動的没頭に平均以上に傾いている人間が多くいて、
>>26の5、6段落目みたいな人間的派閥を形作っている。

今の時代は、圧倒的に(4)高(2)低であり、
(4)は勝ち組(2)は負け組、(4)はリア充(2)は陰キャなどと、
さまざまな形容を凝らした人格差別が繰り返され続けている。

(4)こそは真に人間のあるべき姿とされているから、
(2)どころか(3)すらもが(4)には劣るものとして冷遇され、
本物の技芸を伝承している古流の武道家が、ただのスポーツ武道にも
劣るような扱いを受けて日陰暮らしを強いられるようなことにもなっている。

(4)ばかりが優遇されているのがズルいからといって、
今度は(2)と(4)の処遇を逆転させてしまえばいいというのでは決してない。
もちろん、(1)を(4)並みの扱いになんてのも言わずもがな。

人間が真にあるべき姿は、静的没頭にも動的没頭にも囚われないか、
もしくはいずれも自由自在な(3)の境地であり、
(3) > (2)、(4) >(1)、(5) という順位を世の中も承認すべきだということ。

陽キャでなければ陰キャ、体育会系でなければ文化系なんていう
極端から極端への一つ覚えの話ではないのである。

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035 2020/02/16(日) 11:02:10 ID:omg8FnvGFU
すでに大人になった動的没頭志向の人間(4)が、動的没頭の対象にできる仕事なり、
スポーツなりスポーツ観戦なり旅行なりドライブなりパチンコなりの楽しみを見つけて、
後頭葉萎縮からの視野散漫によるADHD系の苦しみを緩和できていたとする。
本人はもう一人前の社会人となった上、職人気質やオタク系よりも
人当たりのいい性格だったりするものだから女受けもよく、
普通に結婚して子供を持てる確率も高い。

そこで、今の日本の一般的な育児環境を見てみれば、
体力が有り余っている男児のADHDに苦しめられている親が異様に多い。
あまりにも発症率や重篤率が高いために、女児を好む親が激増しているほど。

これは、親が動的没頭に淫する性向をうまく自己処理できているからといって、
少しもADHD的な症状を治癒させられてはいないからである。

あくまで気休めによるごまかしに過ぎないものだから、社会経験ゼロの状態で
生まれてきた子供に後頭葉の萎縮だけが遺伝し、明白なADHDを患う。

これもやはり、>>34画の(4)に相当する、ADHDとしては軽度なレベルの動的没頭嗜好者を
社会的に優遇し過ぎているが故の所産だといえる。(4)みたいな人間が一定数生ずるのも
この世の常ではあるが、それを「人の花形」にまで祭り上げるのは明らかな暴挙という他ない。

(4)なんてのは、(2)とも同類でしかないただの有象無象に過ぎず、(3)こそは達者。
(2)も(4)も(1)も(5)も、(3)の境地こそを志して行く世の中が到来すればこそ、
ADHDに苦しめられる子供や親の増大に歯止めをかけることもまた出来るのである。

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036 2020/02/16(日) 11:07:20 ID:4G36i4qaYI
人間を一軸系統のみで判断するのはおやめください。
少なくとも心理学では性格の根底にはビッグ5と呼ばれる、独立5種類の傾向がありまして、
陰キャ陽キャなどと呼ばれるのは集中拡散系統の分類ではなく、開放性(新奇性)と外向性に裏打ちされる分類です。
因みにビッグ5の中に集中拡散軸はありません。これはこれでまた独立変数になるでしょうが、
性格に関連する変数としては弱いです。

返信する

037 2020/02/16(日) 11:20:05 ID:4G36i4qaYI
世間的に優遇される性格、キャラというのは確かに存在しますが、
どちらの方が優れいるとか、本来あるべき姿か、などというのは存在せず、
それぞれの性格傾向に利点、欠点が存在します。

例えば、集中拡散軸でいうと、集中度が高い人は何かをコツコツとやるのに向いてるし、拡散度が高い人はクリエイティビティ、創造性、芸術などが向いてます。

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038 2020/02/16(日) 11:22:58 ID:omg8FnvGFU
一軸だけで全てを把握できるわけでないのは分かってるが、
一軸でも把握できる範囲のことを論じておる。

この図なんかによれば、躁と鬱、アスペルガーとADHDも
二極化できるような症例ではなく、「セロトニンの欠乏」という
同根によって起こる類似症状だと考えることもできるが、
それとは別に>>34画みたいな対極化して考えることもできる。

部分と全体が全く異なった様相を示す、数理物理学的な現象への
理解がないと分かりづらいことだろうが、一応両立し得ることだ。

その証拠に、結局「両成敗」によって治癒の目処が立つ点が共通している。
アスペルガー系もADHD系も、静的没頭も動的没頭も、いずれも
理想形ではなく「至らないあり方」に過ぎぬ、全てを脱却や征服した
中正の境地に至ればあらゆる病気が治癒されることが、
いずれの図によっても約束されている。

こんがらがった糸状態な現代の精神医学とは異次元の話だろうがな。

返信する

039 2020/02/16(日) 11:38:46 ID:omg8FnvGFU
>>37
「拡散度が高い人のクリエイティビティ」って、
たとえばこんなんだろ?

これが公式Tシャツのデザインになった24時間テレビと同じぐらい、
このデザインへの「気持ち悪い」系バッシングも多かった。

俺も気持ち悪いとは思うが、逆に、
判子絵のオタク向け美少女アニメ画とかに、
動的没頭志向の人間が似たような嫌悪感を催すこともあるわけだ。

>>34画(2)が作った秋葉系文化、(4)が作った電通系文化、
いずれも一定数の支持を取り付けながら、多くの敵も作っている。
(2)も(4)も無条件にイイモノとして持て囃したのでは済まないような
閉塞性を帯びているから、「至らぬもの」扱いにすべきだと言うのだ。

現時点ですでに(2)は至らぬもの扱い。
(4)を引き下げるよりも(4)以外を(4)並みに遇したほうが前向きなように
思われるには違いないがな、そんなことが可能なほど世の中もお花畑ではない。
そこでは必ず「生理的嫌悪」という負債が山積するから。

返信する

040 2020/02/16(日) 11:59:01 ID:4G36i4qaYI
神経伝達物質で性格傾向や精神病を論じるのは不可能で、完全に破綻してます。
今はそれよりも脳の神経ネットワーク、コネクトーム、その神経構造と、発火パターンの方が重要視されてます。
3つの神経伝達物質のバランスで性格が決まるなどとはなんともご都合的な考えですよね。今思うと。

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