>>119  俺は自由意志が存在する事は確信しているが、其れが何者かは考える必要は見出さない。 
 現実社会では、其の必要を感じないからだ。 
 また、実社会に影響を与えるような非道徳的主張をせぬ限りは、 
 他人が其の内面世界を如何考えようが、口を出す言われも無い   
 勿論何者かわからぬ物を確信など出来るわけないから、それなりの論理は有る。 
 自由意志による意思決定とは、 
 アルゴリズムだけによって導かれるのではなく、経験の蓄えられた内面世界を意識的に旅することによって行われる。 
 利用できる無限とも思える量の情報から、とくに重要だと判断した要素についてだけ思索し、 
 重要でないものは放っておく。熟考のあらゆる段階で、 
 自分の目的と方法について思索し、心のなかをどうさまようかについて思案する。 
 これが「思索的内省」の真髄であり、この能力こそが人間の自由意志を構成している。 
 之が自分の考える自由意志だ、 
 リベットの実験に価値を見出さない理由も之故だ。 
 まぁ之はイェール大の神経学者の受け売りだかね。   
 まぁ君が自由意志に対する自論を書いてくれたのに、 
 此方がそれに対する自論がないのでは、話に成らないと思って書いただけで、 
 俺の主張の肝は、其処には無い。 
 リアリストの俺的には、君のこの一文 
 >>俺が想像する自由意志を否定する社会とは、人の命や決定、進歩、調和や平和を無いものとして扱う様な社会ではない。 
 之で十分であり、 
 それ以上の論点の齟齬は見出せない。 
 上から読んでもらえば解かるが、俺とアホのスレ主の争点は此処なんだよ、 
 俺が批判するのは、自由意志が無いと言う自説を笠に着て、他人の成功を貶め己の失敗の免責を主張するからだ、 
 之は社会道徳への挑戦なんだよ。 
 そんな大げさなと思うかも知れないが、 
 1995年、ジョージア州の最高裁で、1人の弁護士が自由意志の不在を条件に殺人犯の免責を主張した例も有る。 
 危険だと思わないかい? 
 其処のところを弁えている人に対しては、何の反論も無い。 
 別に自由意志が無いと唱える学者を批判するつもりもないし、其の考え自体は俺の考えとは異なるが、なんら文句の付けようがないだろ。
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